それでも彼は一九三四年にハイゼンベルクに送った手紙のなかで、鍵となる問題は「一三七と電荷の『原子 的神秘性』をうまく処理すること」だと書いている。当時パウリは、電子の質量と電荷が無限大になってしまうことのない量子電磁力学の形式を見いだそうとし ていた。だが式をどう操作しても、必ず電荷の概念が入り込んでしまう。だからパウリは、「電荷の原子的神秘性」--「原子」という言葉と「神秘的な」とい う言葉を合わせたもの--と言ったのである。
問題はこういうことだった。つまり、量子電磁力学の理論には微細構造定数αを構成する要素 として電荷が入り込んでくるのに、量子電磁力学の理論は「電荷の原子論的性質を考慮に入れていない」のである。将来の理論は「基礎となっている考え方を、 その根底において統合しなければならない」とパウリは書いている。
パウリの考えでは、問題の核心は電荷という概念が古典物理学、量子物 理学のどちらにとっても異質のものであるという点にあった。古典物理学においても量子物理学においても、電子の電荷は理論から導出できず、むしろ理論に組 み入れなければならないものだったのである(これは、ハイゼンベルクとシュレーディンガーの量子論が、電子のスピンを取り込まなければならなかった事情と 似ている。ただし、ディラックの理論からは自然に電子のスピンが出てくる)。
量子論がこの状況に追い討ちをかけたのは、量子論には微細 構造定数αが含まれているためである。要するに、微細構造定数は電子の電荷(e)を他の二つの基礎定数、すなわち、きわめて小さなプランク定数h(宇宙に おける測定可能な最小の領域を定めるとともに、原子の世界を扱う量子論を特徴づけている定数)と、きわめて大きな光速c(宇宙を扱う相対性理論を特徴づけ ている定数)に結びつけていたのである。
パウリはあい変わらず、微細構造定数と量子論に現われる無限大との関連に頭を悩ませていた。こ の問題はどうやっても消えてくれないように思えた。彼は一九三四年四月に、「一三七がうまく処理できれば、すべてが申し分のない状態になるのだが」とハイ ゼンベルクへの手紙に書いた。六月には、「なぜ1/137なのか。この大問題をずっと考えている」と伝えている。
この年の十一月に チューリヒで行なった講演のなかで、パウリは量子電磁力学につきまとっている無限大の問題を取り除くことの重要性を強調するとともに、量子電磁力学がわれ われの空間と時間の理解にどのように関係しているのかに聴衆の注意を向けた。その上で彼は、この無限大という問題を解決するには、「無次元の数 〔1/137〕の数値的な重要性を解釈する」必要があるだろうと述べた。
いったい何があったのだろう。なぜパウリは突然、「一三七」についての自身の考えを語りはじめたのだろう。もしかすると、ユングの精神分析が神秘主義的な思索に対するパウリの心を開かせる結果になったのかもしれない。
一九三五年には、ドイツを逃れてイギリスのケンブリッジ大学に身を寄せていたマックス・ボルンが、「謎めいた数一三七」という題の論考を発表した。ボルン といえばゲッティンゲン大学でパウリの師だった人物である。そのボルンは、なぜ「一三七」が科学者たちにこれほど大きな神秘的な影響力を及ぼすのかを探っ ていた。ボルンによればその主たる理由は、微細構造定数が、科学研究における究極の目標、すなわち、きわめて大きな世界(宇宙)を探究する相対性理論と極 微の世界(原子の世界)を探究する量子論との統合を達成する手立てになるように思えたことにある。
ボルンは論考のなかで、「一三七」と いう数を「神秘的な」ものにしている性質をいくつか調べているが、特に注目したのは、次元をもつ基礎定数から構成されているのに、微細構造定数自体は無次 元なことだった。微細構造定数は、宇宙がいまある姿に進化する上でもきわめて重要だった。
ボルンは次のように書いている。「もしα〔微 細構造定数〕の値が実際のそれよりも大きかったら、物質とエーテル〔真空、非実在〕を区別することは不可能で、自然法則を見つけ出すわれわれの仕事は、望 みのないくらい困難なものになっていただろう。にもかかわらず、αがまさに1/137という値をもつという事実が偶然によるものでないのは確実で、そのこ と自体が自然法則なのである。この数を説明することが自然哲学の中心をなす問題でなければならないのは明らかである」。
一九五五年にス イス連邦工科大学(ETH)の創立100周年記念式典が催された際、パウリはグローリア通りにある物理学科の大講義室に集まった大勢の聴衆を前に、「今日 の物理学の問題」をテーマに講演をした。いつもの講演とは違って、今回のパウリは準備してきた原稿を見ながら話を進めた。だが、これではうまく話ができな いことがはっきりわかった。パウリは大袈裟な仕草で原稿を脇に放り出すと、即興で力を込めて熱っぽく語りはじめた。話の核心は、微細構造定数がきわめて大 きな重要性をもちながら、どれほど不可解で理解しがたいものであるかという点にあった。微細構造定数は単に電子どうしの相互作用の仕方を示しているだけで もないし、測定された定数にとどまるものでもない。科学者が何をなすべきかといえば、それは「微細構造定数を、理論物理学における文字どおりの重要問題で あると認めること」である。会場に割れるような拍手が湧き起こった。
パウリとハイゼンベルクは、原子物理学におけるスペクトル線を理解 する上でも、また、電子と光の相互作用の仕方を扱う量子電磁力学にとっても、微細構造定数を理解することが根本的な重要性をもつことをはっきり認識してい た。そこで二人は、微細構造定数を最初から量子論に取り入れるのではなく、逆に量子論から微細構造定数を導いてやろうと決意した。彼らの考えでは、微細構 造定数の導出が可能な量子電磁力学の形式を見つけることができれば、そこには理論を台なしにしてしまう無限大になる量は含まれていないはずだった。だが、 どうやってもうまくいかなかった。物理学者たちを悩ませているさらに根源的な問題--微細構造定数をどのようにして導くかにとどまらず、素粒子の質量をど う説明すればいいのか--は現在にいたっても解決されていない。
アメリカの物理学者リチャード・ファインマンも、「一三七」について論じたエディントンの哲学論文と科学論文を調べたことがある。そのファインマンは一九八五年の著書『光と物質のふしぎな理論』のなかで、彼独特の語り口で次のように述べている。
1/137は50年以上も前に発見されて以降ずっと謎のままであり、有能な理論物理学者はおしなべて、この数を自室の壁に貼って頭を悩ませている。この数 がどうして現われるのか、すぐにでもその起源を知りたいと思うだろうが……だれにもわからないのだ。1/137は物理学におけるもっとも忌まわしい謎の一 つである。われわれのところにやってきて強大な影響力を及ぼしているくせに、人間にはまったく理解不能な魔法の数なのだ。
そもそも、この魔法の数はどこから現われたのだろう。発見したのはゾンマーフェルトだが、彼はどのようにしてこの数を見つけたのだろう。ゾンマーフェルトがたどった思考の過程をかいま見るためには、ちょっとばかり数学の旅をするより仕方がない。
スペクトル線の構造の問題をじっくり考えていたゾンマーフェルトは、原子を微小な太陽系に模したボーアの原子理論に現われる式を別の角度から眺めてみた。その式とは、

で ある。これは、水素原子の電子やアルカリ金属原子の最外殻の電子のように、孤立電子のエネルギー準位を与える式である。アルカリ金属原子は内殻がすべて電 子で満杯の状態、すなわち閉殻になっており、最外殻の一個の電子だけが化学反応に関与するという点で水素原子と似ている(ちなみに、パウリはアルカリ金属 原子を研究していて排他原理を発見した)。エルグ(erg)はエネルギーのcgs単位である。この式は整数の量子数(主量子数)によって定まる特定の軌道 を回る電子のエネルギーを表わしている。Zは原子核の陽子数で、右辺のマイナス記号は、電子が原子内に束縛されていることを示している。 2.7×10^(-11)エルグというエネルギー量は、電子の電荷(e)、電子の質量(m)、プランク定数(h)を組み合わせた

の形で(1)式に含まれていたものを算出した値である。この値は、水素原子(Z=1)の電子がもっともエネルギーの小さな軌道(n=1)にあるときのエネルギーを表わしてもいる。
ゾンマーフェルトはボーアの元の理論に手を加える必要があると結論を下した。彼の着想のすばらしさは、新たに定式化するに際して相対性理論を取り込んだ点 にある。そうすれば、質量とエネルギーの等価性を述べたE=mc^2にしたがって、電子の質量が変化することを考慮に入れることになる。その結果得られた のが

で ある。この新たな式には、nのほかに量子数kが加わっているが、これは電子が取りうる軌道の数が増えることを示しており、電子がより多くの軌道間で量子 ジャンプをする可能性があってもおかしくないということになる。したがって、これなら原子がさらに多くのスペクトル線、すなわち微細構造を示す可能性が あってもおかしくないのである。
式(2)の{ }を外せば、

となるから、右辺の第一項は元のボーアの理論の式(1)と同じである。だが今回の式にはさらに一つ項が加わっている。
この二番目の項に二乗の形でかかっているという記号の組み合わせは、これまで物理学者のだれ一人お目にかかったことのないものだった。ゾンマーフェルトは電子の電荷、プランク定数、真空中の光速の値をもとに、

が0.00729になることを導いた。この定数が原子のスペクトル線の分裂--すなわち微細構造--のスケールを決めていることに気づいた彼は、これに微細構造定数の名を与えた。
この数が式に現われるのは、この数が原子のなかに存在するからなのである。微細構造定数が原子の実在の一部なのは、原子にはスペクトル線の微細構造が内包 されているからである。それまでも、物理学者たちは微細構造が存在することは知っていた。彼らは実際に微細構造を測定していたが、実験結果と一致する微細 構造の式を手にしていなかった。それをいま、次の形で手にしたのである。

式(2)の

を1/137で置き換えた式(3)は、実験で観察される微細構造を完璧に表現していた。
また、「黄金比」と数学的に関係づけられるフィボナッチ数列の項を利用しても「一三七」を表わすことができる。フィボナッチ数列は整数からなる数列で、最 初の項を0、次の項を1と定め、それ以降の項は前の二つの項の和になっている。したがって、フィボナッチ数列は 0,1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144,233,377,610,987……という具合につづいていく。
この数列の隣り合う二つの項の比をとっていくと、1/1=1.000000、2/1=2.000000、5/3=1.666666……、987 /610=1.618033というように、黄金比の値である1.6180339837……に到達する(フィボナッチ数列の隣り合う 2項の比は黄金比に収束する)。古代ギリシア以降、黄金比による分割(黄金分割)は、もっとも調和のとれた分割法として画家や建築家の指針になってきた。 ちなみに、古代エジプトのピラミッドやアテネのパルテノン神殿、現代の国連ビルにも黄金分割が見られる。
フィボナッチ数列の名は、一三世紀にこの数列を表わす漸化式の問題を取り上げたイタリアの数学者フィボナッチ(ピサのレオナルド、レオナルド・ピサーノともいう)にちなんで名づけられた。フィボナッチ数列と黄金比の関係に気づいたのはケプラーである。
フィボナッチ数は、先に述べたような関係があるので、「一三七」を黄金比に換算すれば、「一三七」を表わすどんな式でもフィボナッチ数を使って書き直すこ とができる。もっともそんなことをしても、単にある特定の数のあいだに深遠な関係があるというだけのことで、それ以上のものが得られるかどうかは定かでな い。
しかし、円を考えに入れて一三七を角度と見なすと円は360度であることから
360÷α=2.627048…(小数点以下は循環小数)
となり黄金比であるφ^2=2.618034……に近い数になる。
あるいは137ではなく137.51にすると、
(360-137.51)÷137.51=1.61799
となってφの値1.618034……に近くなる。
フィボナッチ数を組み合わせて「一三七」を作りだしても、残念ながらそこに「科学的」根拠があるわけではない。それなのに、人々はあいも変わらず「一三 七」を何とかしようとして、もどかしい思いをしている。それどころか「一三七」は熱中や崇拝の対象になってしまっている。
「一三七」を追求し続けたパウリは、1958年一二月一五日チューリッヒの赤十字病院の一三七号室で膵臓がんにより息を引き取った。
今まで6回に及ぶこのブログでの書き込みを顧みると、「一三七」という数と、パウリが微細構造定数を量子電磁力学から導こうと取り付かれたよういになったことに行き着く。「一三七」を導くという問題は、現在においてもいまだ未解決である。
sonokininatte55.blog.fc2.com/blog-entry-232.htmlその木に成って55さんちから転載しました。
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