彼はこの象徴的現われを「背景物理」と呼んでいる。彼はこうした夢に登場するシンボルと、ケプラーの著作などの「科学用語や科学概念がかなり未熟な段階にあった」一七世紀の文献で見た象徴的図像とのあいだに類似性があることに思い当たった。
この類似性を調べているとき、パウリは科学について何の知識もない人々が、しばしば同じようなイメージを作りだしていたのを発見した。彼はこの事実をもと に、自分の見た夢は結局のところ無意味なものでもなければ根拠のないものでもないとの結論を下した。こうした類似性は、「背景物理が元型的性質をもつこ と」の証拠のように思えたのである。物理学と心理学は互いに補完しあう相補的な関係にあるので、「どちらにとっても同じように有効な手法があり、それを利 用すれば、心理学者たちは『裏から』(すなわち、元型の研究を通して)物理学の世界に導かれるに違いない」とパウリは確信した。言いかえれば、物理学の概 念や用語のシンボルが時代を超えて広く見られるという事実は、原子物理学のシンボルが元型に由来することの確固たる証拠を与えているように思われたのであ る。
パウリは「背景物理」の一例としては、スペクトル線の微細構造を取り上げている。彼が見つけようとしていたのは、夢に隠されている 意味、すなわち純然たる物理学を超えた「第二の意味」である。その意味を解き明かすには、パウリは物理学者だけでなく心理学者にも理解可能な「中性言語」 を探しだし、微細構造という概念をその言葉に翻訳しなければならない。彼が特に興味をもったのは二重線--微細構造が二本のスペクトル線となって現われる --の夢である。パウリは二重線への分裂を、子どもの誕生の瞬間に母体と一つだったものが二つになるという経験と関連づけた。誕生の瞬間、胎児はスペクト ル線が分裂して二重線になるのと同じように、一個の独立した存在となる。さらに二重線は、「新たに生まれた意識の内容が無意識の鏡像を表わす」--無意識 を映す鏡としての意識--という精神的な意味での二重化とも結びつけられる。
パウリは一九五三年に、とりわけ印象に残るスペクトル線の夢を見た。夢のなかのパウリは妻のフランカとある実験を観察していて、実験の結果は写真板上にスペクトル線として現われる。スペクトル線のうちの一本は微細構造をもっていた。
パウリはこの夢について、「好ましい徴候があり、二番目のスペクトル線に微細構造が見られる」、そして「この夢がどんな働きをしているかと言えば、それは 無意識の内容の意識への同化のはじまりを示す」と解釈した。パウリはかなり以前から、二重線がスズメバチ(パウリにとっては大きな恐怖のもとだった)やト ラに見られる、明暗が交互になった縞模様にそっくりなのに気づいていた。このパターンは対立する二つの力、光と闇の果てしない反復を表わしていた。心理学 的観点から見れば、このパターンは心理状態に反復性があることの象徴だった。
この光と闇の対立の意味は、ボーアの相補性という考え方を 適用すればさらに明確になる。相補性はそもそもは、互いに補完しあう関係にある相補的な対--たとえば波動と粒子--のあいだの対立という観点に立てば量 子力学的現象の理解が可能であることを述べたものだった。とはいえボーアは、相補性が物理学にとどまるものでなく、あらゆる生命現象の理解に不可欠のもの だと確信していた。生命現象では生と死、愛と憎しみ、陰と陽といった相補的な対が重要な役割を演じているのである。パウリは一九四八年のエッセイのなか で、こうしたことはいずれも、「対立物からなる相補的な対には、これに対応するさらに深遠な元型があることを指し示しているように思われる」と述べてい る。さらに言えば、こうした相補的な対は、二本に分裂するスペクトル線によって象徴化され、分裂の幅は『一三七』という数で特徴づけられる。このことが、 『一三七』は元型的な数であるというパウリの信念をさらに強固なものにした。
相補的な対という見方をすることで、パウリは中国の書『易経』の根本をなす、線によるパターンのことも思い出した。
中国に古くから伝わる占いである易が現在のような形になったのは、周(紀元前1050?~前256)の時代だったとされている。『易経』はその易のための 書で、ユングは、『易経』は西欧の因果律という考え方を用いたのでは理解できない偶然の出来事の本質を見抜いていると考えていた。

図:上左;八卦爻と太極、上右;後天八卦図、下二つは先天図・後天図の配置
『易経』の本文経(けい)は、卦(「け」ともいう)と呼ばれる64種類の象徴的記号と、その意味を解説した占断の言葉で構成されている。卦は陰の象徴であ る「--」と陽の象徴である「――」の棒、爻(こう)を三本組み合わせて作った八種類のパターン(八卦)を上下に二つ重ね合わせたものである。占者は筮竹 (ぜいちく)と呼ばれる50本の細い竹の棒を使って卦を立てる。卦が得られると、占者はそれをもとに占断を下す。それぞれの卦を解説した『易経』の占断の 言葉はきわめて格言に富んでおり、慎重な解釈が必要とされる。
易による予言は多くの要因に関係している。もっとも重要なのは、われわれ を取り巻いている世界は善と悪、光と闇、愛と憎しみ、男と女などの二元性を意味する対立物……すなわち陰と陽……のせめぎ合いから生じるということであ る。ユングは卦に込められたメッセージが西欧の物理学では説明できない「現在という瞬間」の隠された性質、すなわち偶然の出来事の同時性の意味を明らかに すると考えていた。
パウリも「夢に出てきた場面を解釈するときに」『易経』の文言を参考にしていた。パウリが卦による占いをどこまで理 解していたかはともかく、彼は一つの爻を描くのには三回の操作が必要なのに、「その結果は4で割り切れる数によっている」と述べている……またしても三と 四なのだ。しかも、64(卦の数)は4を三回掛け合わせた(4の三乗)数である。このことがパウリを宇宙時計の夢に立ち返らせた。宇宙時計の夢では、「三 と四に満ちあふれたモチーフが、調和の感覚を与える主たる源になっていた」。
かつては、物質は万物を生みだす根源であると考えられた。 これに対して現代の物理学では、物質は完全に「はかない」存在になった。粒子と反粒子が自然に対生成したり対消滅したりするように、物質は生まれることも 消滅してしまうこともあるからである。反粒子の一つに、電子の反粒子である陽電子(ポジトロン)がある。陽電子の性質は、負の電荷ではなく正の電荷をもつ という点を除けば、電子とまったく同じである。粒子と反粒子が出会うと、両者は一瞬のうちに消滅して光や他の粒子に変わる。ディラックの有名な方程式 (ディラック方程式)によって最初にその存在が予測されていた陽電子は、一九三二年に実験室で発見された。
パウリは、物質を特別な存在 と見なして打ち建てられた生命観には何の根拠もないと考えていたが、粒子の対生成と対消滅は、彼のその見解を裏づけるものだった。アインシュタインは、彼 が発見した質量――すなわち物質--とエネルギーの等価性をE=mc^2によって象徴的に表わした。この式では、質量が形状をもたないエネルギーで置き換 えられている。エネルギーは形態を変えることはあっても消滅することはないので、時間を超えた存在と言ってもいい。その結果、エネルギーの総量はつねに不 変である。これをエネルギー保存則と呼んでいる。だが相対性理論からは、質量については保存則が成り立たないという驚くべき結果が導かれる。
エネルギーは時間を超越しているとも言えるが、その時間と空間のなかへの現われ方は独特である。量子物理学によれば、原子のスペクトル線として観測される光のエネルギーは、その光の振動数(1秒間に何回振動しているか)に比例する。
電子がエネルギーの大きい軌道から小さい軌道へ飛躍する際に生じるスペクトル線のエネルギーを正確に知ろうとすればするほど、電子の遷移に要した時間を正 確に計測することができなくなる。ハイゼンベルクが最初に粒子の位置と運動量の測定で発見したのと同じく、エネルギーと時間のあいだにも不確定性関係(不 確定性原理)がある。
パウリはエネルギーと時間の二つの座標軸を「不滅のエネルギーと運動量」に対する「限定された時空的過程」と表わし、程度の違いこそあれ、各々の微小部分はつねに存在しているので、エネルギーと時間は実在の相補的側面であると見なした。
パウリはスペクトル線の分裂の夢を見たことで、スペクトル線の振動数、なかでも二重線の振動数と意識・無意識などの対立物の対どうしの緊張とのあいだに、 何らかの関連があると確信するようになった。エネルギーは時間の枠外に存在していて、限定された空間と時間の幅で生起する過程に対して相補的関係にある が、同じように、元型的な心(時間を超越した集合的無意識)とわれわれが個人的に有している意識的な心、すなわち自我とのあいたにも相補性がある。前者が 時間の全体にわたって存在するのに対して、後者の存在は日常生活の特定の時間幅にかぎられるからである。
一九四八年の春分のころ、パウ リは二つの夢を見た。その二つの夢は数学記号だらけだった。そのうちの一つには、マイナス1(-1)の平方根(√-1)のiが登場する。iはわれわれが日 常生活で使っている数--いわゆる実数--とは異なることから「虚数」と呼ばれるが、複雑な式を虚数iを利用して表わすと単純な形になる場合がある。
また、もう一方の夢では、女がパウリに一羽の鳥をもってくる。鳥は卵を一つ産み落とすが、しばらくするとそれは割れて二つになる。そのとき夢のなかのパウ リは、自分も卵を一つ手にしていて、卵は全部で三つになることに気づく。すると突然、手にしていた卵が二つに割れる。いまでは卵は四つになった。四つが一 組になって姿を現わしたのだ。パウリが見ている前で、四つの卵は数学記号に形を変える。四つの数学記号は左右隣り合わせの二つのグループに分かれていて、 一方のグループではcos(δ/2)が二つ上下に並び、もう一方ではsin(δ/2)が上下に並んでいる。コサイン(cos)、サイン(sin)は直角三 角形の二辺の長さの比を与える量、デルタ(δ)は三角形の二辺が作る角度である。夢はさらにつづき、これら四つの数学記号はiによって合体し、数学者には お馴染みの次の形の式になる。

夢のなかのパウリはこの式を次の方程式に変える。

eは「自然対数の底」で、その値は2.71828…とどこまでもつづく小数になり(eは無理数と呼ばれる数の一つ。無理数は小数で表わすと循環しない無限 小数になる)、e^iδの絶対値は1である。このように、四つの要素の組み合わせにiを挿入することで統一がもたらされた。
夢に出てき た卵のことを熟考したパウリは、卵が割れて増えていく過程が、一七〇〇年ほど前の女性錬金術師マリア・プロフェティサの言葉、「一は二となり、二は三とな り、第三のものから全一なる第四のものが生ずる」にぴったり符合することに気づいた。パウリが注目したのは、この変容が「私の場合は例によって数学を通し て生じた」ことである。
パウリがこの夢全体に対して与えた解釈は、数学とは大きくかけ離れたものだった。パウリはユングに自身の解釈を 伝え、e^iδで表わされる数がすべて半径1の円周上に載ることを説明した。iという数学記号がもつ力によって、マンダラが円の形をとって現われたのであ る。夢のなかのiには「対立物の対(対立する二つのグループに配置されたコサイン関数とサイン関数)を結合するという理性を超えた働きがあり、それによっ て一体性を生みだす」。それどころか、eもやはり理性を超えた無理数の一つなのだ。これらの事実は、数学が「〔自然を〕象徴的に記述するのにとりわけ優れ ている」ことを示している。
数学記号は、直観に反する量子の世界の特性、たとえば、どうやっても図に示すことが不可能な波動と粒子の二重性などを一体のものにして表わすための申し分のない手段なのである。
さらに熟考を重ねたパウリは、次々に割れていく卵は分裂するスペクトル線のアナロジーであるとの考えを提示した。精度の高い分光器を使ってスペクトル線の 微細構造を詳しく調べれば、一本に見えた線が実際には二本の線からなり、線と線との間隔が『一三七』という数によって特徴づけられていることがわかる。だ とすると、物理学では4ではなく2が根源的な数ということになるのだろうか。物理学にも心理学にも相補的な関係にある対立物があり、それらは心のなかでも 二が支配的であることを示唆していた。だが、パウリの夢に4--四つ組--が現われたことは、物質的世界と、物質的世界についての意識的知識、さらには無 意識が一体のものであることを示していた。パウリによる第四の量子数の発見は、まさしくこの一体性が必要であることを示しており、したがって、第四の量子 数は最初は意外に思われたとはいえ、四が完全性の元型であるとすれば、その存在は最初から予想されて当然だったのである。
パウリの夢の なかでさまざまな要素を統合した-1平方根iは、シュレーディンガーの波動関数(シュレーディンガー方程式の解)にも現われる。シュレーディンガーの波動 関数は独立変数、従属変数のいずれもが複素数(a,bを実数として、a+ibの形で表わされる数)の複素関数で、量子物理学における粒子の位置の観測結果 と不可分の関係にあるだけでなく、物質の波動としての性質と粒子としての性質を統一的に表わしている。
いずれにせよ、iによって四つの 要素が統合される夢を見たことで、量子物理学はさらに包括的で壮大な世界像の一部を形成しなければならないというパウリの確信はいっそう強まった。量子物 理学は数学によって記述できる現象にしか言及しておらず、注目したのももっぱら実験室で測定可能な量にかぎられていた。意識などの観念を考慮に入れること はなかったのである。
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