ユングは物理学者のパウリとともに共時性(シンクロニシティー=意味のある偶然の一致)に関する研究を 発表しています。この二人が、物理学に関する「数」を巡る旅の始まりを、今回のブログ記事で取り上げますので、少し長い文章になってしまいました。物理学 の発想を追求するためには、とても重要なところではないかという気が致しましたので、申し訳ありませんがしばらくお付き合い下さい。
パウリがふたたびユングの書斎に顔を出したのは、一九三二年の十一月であった。このとき以降、二人は毎週月曜日の午後に一時間前後の時間をとって、定期的 に面談を行なうようになった。パウリはそれまでも自分の見た夢を記録していたが、一九三四年にユングとの面談を終えるまでに、さらに多くの夢が記録に加わ り、その数は1000を超えることになる。ユングは一九三五年にロンドンで行なった講演のなかで、「優秀な科学者として非常に有名な若い男性」が見た夢の 話を非常にうれしそうに「彼の夢には信じられないほどの一連の元型的イメージが含まれていた」と報告している。
ユングはパウリが記録し た多数の夢のなかから400を取り上げて詳細に検討している。ユングが選びだしたのは、彼が「個性化」と呼んだ過程の例証となる夢である。個性化はユング 学派には特別な意味をもつ用語で、各人が個性的人格を発達させる過程を指す。精神分析の観点からは、個性化が生じるのは、患者の意識と無意識がバランスの とれた状態に達したときであるとされる。この状態に到達した徴候として、患者はマンダラの夢を見るようになる。
個性化が実現した状態で は、四つの心理学的機能――思考、感情、直観、感覚――は完全に意識されており、これら四つが合わさって統一された全体を作りあげている。ユングがパウリ の分析に着手する以前の段階では、パウリの意識のなかで卓越していたのは思考機能であった。彼の感情機能は完全に無意識のなかに沈んでおり、感覚機能と直 観機能も無意識のなかに半ば沈んだ状態になっていた。とことん知性に訴える人間で、自分の感情というものをまったく理解していない――ユングは心理学的に 見たパウリの状態をこのように描いていた(図1参照)。

図1:パウリの意識の四つの機能を示した図。優越機能である思考は円の上半分を占めている。劣等機能である感情は暗いほうの半円に位置している。感覚と直観の二つの副機能は半ば明るく半ば暗い。
パウリが見る夢は時とともに変化していったが、かなり早い段階から、パターンが生じるように円が姿を現わしていた。最初に現われたのは自分の尾に食らいつ いているウロボロスで、ユングはこれをマンダラの原始的形態であると解した。ついで、円はもっと進化した形をとって、永久機関の夢、すなわち永遠に動きつ づける振り子時計の夢のなかにふたたび姿を現わした。永遠に動きつづけるものは、永遠の円運動をするのである。そのあとパウリは恐ろしい夢を見た。人々が 正方形のまわりを歩き回っていて、正方形の中心では動物の肉塊から人間の頭部が創造されている夢である。この夢では、恐ろしい出来事は円の内部ではなく正 方形の内部で起きているが、ユングは、これはパウリの夢にしばしば登場する四人の人物、すなわち分析心理学で言う四つの機能を表わしていると解釈し、こと によると、パウリが発見した四つの量子数も表わしているのかもしれないと述べている。
ユングは円と正方形に関して、「男と女を囲んでま るい円を描き、その円をもとに四角形を、四角形をもとに三角形を得よ。さらに円を描けば哲学者の石を得ん」という錬金術書の一節を引いているが、これはラ マ教のマンダラを描写したものにもなっている。さらに、もっとも根源的なレヴェルで見れば、この記述は、正方形の内部に築いた半球状の小山(覆鉢)からな る仏教の聖建造物、ストゥーパ(仏舎利塔)の平面図を表わしている。礼拝する信者たちはストゥーパのまわりをつねに時計方向、すなわち右回りに歩く。左回 りは不吉とされているからである。ユングはこれに関して、右は意識へと通じ、左は無意識に通じるからだと説明している。マンダラの絵は、正方形の内部に円 と東西南北の四方位が含まれており、したがって人間の生のすべてもここに含まれていることをはっきりと示している(図2参照)。

図2:金剛界曼陀羅(マンダラ))
パウリの夢に現われるマンダラは時とともにより完全な形をとるようになり、ユングはこの変化を、パウリが心の旅路のなかで個性化に向かって歩を進め、健全 なペルソナを作りあげつつある証拠だと見なした。夢に現われるマンダラを描いたパウリの一連の絵は、彼のなかで意識と無意識がますます釣り合った状態に近 づきつつあることをはっきりと示していた。

図3:パウリの夢に出てきたいびつなマンダラ
ユングに指示されて夢の記録をつづけていたパウリは、ある日はじめて不正確な形のマンダラの夢を見た。パウリは夢のなかで何とか対称な形にしようとする が、失敗に終わってしまう。そのマンダラは、水平方向の腕木のほうが垂直方向の腕木よりも長かった。ユングはこのマンダラには高さと深さが欠けていると解 釈した。言いかえれば、いまだに自我がパウリの心を支配しているということである。夢に現われたこのマンダラのそれぞれの腕木には、パウリが円として描い た鉢状の容器がある。どの容器も液体で満たされている。一つの容器は赤、もう一つは黄色、さらにもう一つは緑の液体が入っているが、第四の基本色である青 が欠けているために、第四の容器に入っているのは色のついていない液体である(錬金術師たちの考えでは、虹はアリストテレスの四元素に対応する四色、赤 〔火〕、黄色〔空気〕、緑〔水〕、青〔土〕から構成されていた)。パウリの夢に出てきたこのマンダラは、いびつであったばかりか不完全でもあった(図3参 照)。
科学に携わるなかで、パウリは視覚的想像の重要性を十分に承知していた。一九三〇年代の物理学はあい変わらず「精神的・人間的混 乱期」にあった。直観に反する原子の世界に対して、パウリがその正しいイメージを作りあげる手立てを追い求めはじめた一九二〇年代と、何ら変わるところが なかった。パウリが提唱した第四の量子数には視覚的イメージが欠落していたが、そのことが、原子を微小な太陽系になぞらえるボーアの視覚的イメージを打ち 壊す一助となったのである。

図4:パウリの夢に出てきた「宇宙時計」
パウリはそれからしばらくして、彼が「大いなる幻像」と呼んだ「宇宙時計」の夢を見た(図4参照)。彼はその幻像が「調和の極致」の印象を与え、彼自身、 幸福感と穏やかな気持ちで満たされたとユングに伝えた。ユングはパウリの夢に出てきた宇宙時計を次のように描写している(上の図には、色を塗り分けていな いため、色が塗ってあるものと想像して読み進んで下さい)。
共通の中心をもつ垂直の円と水平の円がある。これは宇宙時計である。この時 計は黒い鳥に支えられている。垂直の円は青い円盤になっており、白の境界線で4×8の32の区画に分割されている。円盤上では指針が回転している。水平の 円は四色の色で構成されている。こちらの円の上には振り子をもった小人が四人いて、円の周囲には、それを取り巻くようにリングが配置されている。このリン グは以前は黒だったが、いまは黄金色である……この「時計」には三種のリズム、すなわち脈動がある。
それは次のとおりである。
1 小さな脈動 垂直になっている青い円盤上の指針は、32分の1ずつ進む。
2 中程度の脈動 青い円盤上の指針が完全に一回りする。それと同時に、水平の円が32分の1だけ回転する。
3 大きな脈動 中程度の脈動の32回分は黄金色のリングの1回転分に等しい。
だが、この時計は何を意味しているのだろう。ユングは、パウリが以前に見た夢のなかでそれとなくほのめかされていたすべてのものが、この時計に凝集されて いるのを認めた。以前の夢では、それらのシンボル――円、球体、正方形、回転、十字架、四元性、時間――は個別的に登場していた。今回の夢では、完全な対 称性が備わっていた。
パウリの宇宙時計には三種のリズム(脈動)があった。第一は、32の区画に分割された垂直の円盤上で生じる小さな 脈動である。指針は時を刻むように、一回に一区画ずつ進みながら回っていく。指針が一回りしてすべての区画を通り終えると、水平の円が32分の1回転す る。これが中程度の脈動である。この水平の円が完全に1回転したとき、「大きな脈動が生じる」。黄金色のリングが1回転するのである。
青い垂直の円は、赤、緑、オレンジ、青の四つの色に分けられた水平の円と交差している。各色の四分円には異様な風体の小人が立っているが、ユングはこれら の小人を「カベイロイ」と解釈している。カベイロイは古代ギリシアに起源をもつ暗黒の神で、航海を守護する神とされている。ユングの分析心理学によれば、 カベイロイがこの場にいるのは、無意識へ向かうパウリの心の旅の案内をするためだった。どのカベイロイも振り子を手にしている。そして、青い円の脈動が全 過程のはじまりである。ユングは32という数の重要な役割を述べている。すなわち、32は「4」に8をかけたものなのだ。
これは奇妙に 思えるかもしれない。だが、ユングはつづいて、カバラでは32という数はきわめて重要な数で、知恵を意味すると指摘している。カバラによれば、32はヘブ ライ語のアルファベットの数22と、セフィロトの象徴である生命の樹の枝の数10の和として表わすことができる。さらに、「創造の書」にあるように、知恵 にいたる道の数も32なのである。
パウリはついに完全な形の三次元のマンダラを夢で見た。だが、ユングは当初、それが何を意味している のかに当惑してしまった。その幻像の印象を「調和の極致」と表現したとき、パウリは何を言おうとしていたのだろう。パウリの心の全体性を意味しているよう に思われたが、なぜ彼はあんなにもはっきりと、いまは穏やかな気持ちだと言い切ったのだろう。ユングは、何か重要な手がかりを見落としているのだろうかと 考えた。もしかすると、パウリは「調和」という言葉で音楽の調和、すなわちケプラーが用いたのと同じ意味での天球の調和のことを言おうとしていたのかもし れない。だが、夢に出てきた円はとりたてて調和を保っているというわけではなかった。いずれの円も、性質も違えば動きも異なっている。
もう一つの問題は、マンダラの中心には神聖な対象やイメージが位置しているのがつねなのに、パウリが夢で見た宇宙時計にはそうしたものがいっさいないこと だった。中心にあるのは、二つの円の直径が交わってできる数学の点だけだった。実質的には何も存在しないのと同じなのである。
それで も、パウリが夢で見たマンダラ(宇宙時計)は、男性的な三位一体(三つの脈動)と女性的な四つ組み(四つの色と四人のカベイロイ)を含んでおり、両者が組 み合わされば錬金術の両性具有を生みだす。ユングはパウリが物理学者であることを心に留めながら、パウリのこのイメージの宇宙論的な意味について思案をめ ぐらせた。このマンダラは時空の四次元の根源を象徴していると考えられるだろうか。
だが、それではあまりにも科学に偏りすぎているように思われた。ユングには、この線に沿って思索をさらに推し進めるだけの物理学の知識はなく、彼はその代わりに中世のシンボリズムに目を向けることにした。
一四世紀のノルマンの詩人ギョーム・ドーディギュルヴェルは『魂の巡礼行』の最終編のなかで、回転する49の球体で構成された天国の幻像を描写している。 案内役の天使はギョームに、これら49の球体は現世の世紀を表わしているが、その世紀は通常の時間ではなく永遠の時間であると告げる。大きな黄金色の天が すべての球体を取り囲んでいる。差し渡しが90センチほどしかない青い円が、大きな黄金色の天のなかに下半分を隠した状態で静かに動いている。したがっ て、ここでは大きな黄金色の体系と小さな青色の体系の二つが交差している。ギョームは、青い円が天の黄金色の円に比べて非常に小さい理由を天使に尋ねる。 天使に言われたとおり上を見上げたギョームは、天の王と王妃が玉座についているのを見る。
すると天使はギョームに、あの小さな青色の円 は聖者の暦で、時の要素を運んでいると説明する。まさに今日は三人の聖者の祝宴の日だと天使は言い、それから急いで獣帯(黄道十二宮)の話をはじめる。 ギョームに魚座、すなわち双魚宮について話をした天使は、魚座では12人の漁夫による祝祭が行なわれ、そのあと彼らは三位一体の前に姿を表わすと付言す る。ギョームは完全に当惑してしまう。何よりもギョームが癪(しゃく)に思ったのは、彼が実際には三位一体の秘密を理解していなかったことだった。天使は 三つの基本色である緑、赤、黄金色について話をはじめるが、しばらくすると突然話をやめて、ギョームにこれ以上質問してはいけないと命じる。こうして詩の 最終編は終わり、『魂の巡礼行』も幕を閉じる。
ユングにとってギョームが描写する天の幻像は、パウリが夢で見たマンダラと、パウリを満 たした至上の幸福感を解明する重要な手がかりとなった。ギョームの幻像でもパウリの夢でも、青色の円は時を表わしている。パウリのマンダラの青色の円は同 じ直径のもう一つの円と交差しており、そのために、円と円とはギョームの場合よりも調和のとれた組み合わせになっている。青色の円は32の区画に均等に分 割され、その上を針がカチカチと動いていくが、これは合理性を表わしており、したがって男性的な三位一体の象徴でもある。この青色の円が、交差しているも う一つの円を動かしている。後者は赤、緑、オレンジ、青の四色の部分に分けられていて、それぞれの上にカベイロイが一人ずつ、計四人立っている。こちらの 円は四つ組み、すなわち四元性(四位一体)を表わしているとユングは判断した。カベイロイたちが携えている振り子は、この宇宙時計の永遠性を示している。 時計のメカニズムが一体となって黄金色のリングを回転させる。この大きな円はもはや暗黒ではない。パウリの心のなかで、彼の暗黒部分である影がアニマ―― 彼の女性的側面――から分離され、そのため、彼のアニマはいまでは太陽のように輝いている。彼のアニマはもはや無意識のうちに埋没させられるのではなく、 光を当てられるようになったのである。
青色の円の上にある時計がすべての過程を動かしている。その理由は、ここでは三つ組み(三位一体)はこの 体系の三重構造のリズムからなる脈動だからである、とユングは言う。この三つ組みも、4の倍数である32にその基礎がある。円と四つ組みは、互いのなかに 相手を含むように貫入しあっている。3は4のなかに含まれているのである。
パウリとギョームが同じような夢と幻像を見ても、パウリがカ トリック教徒として育てられたことを考えれば、ある意味では意外ではない。中世を通して三位一体をおおっていた問題は、この三つ組みが女性的要素を締めだ していたことである。ギョームの幻像のなかで一部が欠けていた色は、小さな未発達の円の色である青だが、これは理にかなっている。青は言うまでもなく、聖 母マリアがまとっているマントの色である。ここで欠けているのはマリアなのだ。
ギョームは重要な手がかりを得ていながら、その意味を理 解し損ねた。それどころか、彼は王と女王が並んで玉座についているのを見ていた。だが、王キリストは彼自身が三位一体の存在ではないのか。中世の時代に生 を受けたギョームは王に注目しすぎたために、女王の存在を忘れてしまった。王と女王、キリストと聖母マリアを合わせれば、結果として四、すなわち四位一体 が生じる。だから天使は、ギョームが困った質問を投げかける前に姿を消してしまったのだろう。
ギョームのみならず中世のすべての哲学者 にとって、問題は第四の構成要素を見つけることだった。おそらくパウリの夢が「この古くからの疑問に象徴的な答え」を与えてくれるだろうとユングは述べ、 「たぶん、宇宙時計のイメージが『調和の極致』という印象を生みだした理由は、このような非常に深遠なものだったのだろう」と結んでいる。
ユングはパウリの夢に現われたマンダラの中心に何も存在しないことについて、これは「中世のキリスト教哲学で議論された重要な問題のいくつかを、数学的と 言っても過言でないほど抽象的に表わしている」と結論づけた。ユングはギョームの幻像に関する自身の知識だけで、パウリの夢と、歴史をはるかにさかのぼっ て人々の心を虜にしてきた観念とのあいだのつながりを理解することができた。
とはいえ、四つ組み「四元性」という概念はどのようにして 無意識のなかに現われることができたのだろう。意識が無意識のなかに四つ組みという概念を植え込むことなどできるはずもない。これに関してユングは、心の なかには、四つ組みという概念によって自らを表わし、個人の完成へと向かって動いていく何らかの要素があるに違いないと結論している。彼は四つ組みという 概念が世界各地の先史時代の人工遺物に見られることを力説する。四つ組みという概念は、しばしば造物主と関係づけられる元型である。とはいえ、四つ組みと いう概念は神の実在の証拠とはけっして言えない。人間の意識のうちに「元型的な神のイメージが存在すること」を示しているにすぎないのである。
分析を受けた結果、パウリは「完全に正常で、分別をわきまえた人間になり」、酒を飲むことさえやめた、とユングは断言している。ユングは、自身の錬金術の 象徴の研究が「自己の象徴の発展」を解明するのに役立った重要な分析例として、知的な若い科学者の症例の話をすることが多かった。ユングがパウリに施した 分析は、物理学に新たな観点をもたらすことにもなった。
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