欧米型の証明医療を実践されている
『リー湘南クリニック』李漢栄(医学博士)さんのブログ、
『院長ブログ・異端医師の独り言』より、転載させて貰います。科学が好きだと云うリーさんが、淡々と綴るこのブログは第一級の資料で、貴重な存在です。
貼り付け、開始。
2009年02月01日
★ストロング・メモリアル・ホスピタルでの日課 お金玉の大きさ 在米時(1985年~1990年)僕の仕事は研究が中心だったが、臨床系カンファレンスには、すべて参加した。泌尿器科雑誌と科学雑誌の読書会、Dr. Davisの研修医教育。ユニークなのは「malpractice conference」(医療過誤検討会)、医療事故を減らそうという趣旨だが、要は裁判沙汰を減らそうという集い。
研究の方は、暇があると図書館に出かけ、新しい一流論文を読み漁った。検索エンジンなんか無かったから、雑誌一冊一冊をチェックし、重要なものはコピーした。研究内容については、完全にまかされ、一流論文を量産するにつれ、専属の部下が増え、4~5年目は 3人がついた。
水曜日は臨床の日に当て、午前中は Cockettの外来の手伝い、実はこれが嫌でしょうがなかった。Cockettは大真面目に患者さんの精巣の大きさを測るのだが「Cockettと日本人留学生」がかつて考案した、様々な大きさの卵形の穴が開いた「金玉測定器(Orchiometer)」に精巣を通すのである。

患者は必ず「グー、とかウーとか」痛がるが、お構いなしだ。私は左右のサイズをカルテに記録する。Cockettに「金玉の大きさを論文にしたら?」とささやかれたが、その仕事は体よく断り、婦人科のDr. Centolaに譲った。
ちなみに、霊長類でお金玉(精巣)の大きさは、チンパンジーが最大で、ゴリラは最小、ヒトはその中間。チンパンジーは乱婚でゴリラは一夫一婦制、ヒトはその中間。
午後は、研修医達の手術助手をした。研修医の年度により手術の難易度が異なり、つい手を出しそうになったが、米国の医師免許を持っていないので自重した。
リー湘南クリニック (2007年11月の記事、校正)
2009年02月19日 ☆☆★米国の専門医と日本の専門医もどき 米国には医局制度がない。医学部を卒業し、専門医を目指す者は偏差値を基に好きな医学部へ応募する。
ロチェスター大学医学部・泌尿器科では毎年 2人研修医を採用し、4年間教育する。一年目は、研究室で何らかの研究に携わる。2年目からは、難易度の高い検査や手術を経験して行く。
当直のバイト先は、経験年数により振り分けられていた。ちなみに、米国語で「当直バイト」は「moon lighting」という。4年間の研修終了後、専門医試験を受ける。毎年、全国一律の予備試験があり、ドロップ・アウトした研修医もいた。
研修医たちから「私は優秀である」という噂がたち、何人かの研修医は、難しい症例の治療や検査を相談しにきた。
在米 2年目、全国一律予備試験を終えた Bobが質問にやってきた「○○菌は黄色肉芽腫性腎盂腎炎の原因となるか?」。「は~」何のことか全く分からなかった。僕は医者になって、この 27年間、黄色肉芽腫性腎盂腎炎を一例も経験していない。米国の専門医とは、一生お目にかかれない疾患にも精通した「まさしく専門医」なのである。
同期生 Garyはキャンベルの泌尿器科(CAMPBELL'S UROLOGY)とハリソンの内科書(HARISSON'S INTERNAL MEDICINE)をほぼ丸暗記していた。私の手元にある最新版は、索引を除いて、前者 3,954頁、後者 2,630頁からなる。ちなみに、彼は、名門 NY, Einstain医科大卒、専門医を取得後、当時、全米で最難関の NIH、S.A. Rosenberg
日本にも、専門医「もどき」は存在するが、簡単な試験と会費を払えば誰でもなれる。1984年、泌尿器科専門医制度ができた時、試験すら無く、一枚の申請書を提出するだけだった、
僕は提出しなかったが。日本の専門医や認定医は、患者をたぶらかす単なる「箔付け」、そして、学会出席を義務付け「お勉強した気にさせる」先鋭的(state of art)洗脳制度なのです。
例外は「麻酔科」専門医、これはきちっと教育システムができているようだ。僕がみるかぎり、なんとか専門医s・認定sをならべ立てている同僚ほど、バカだ。
リー湘南クリニック(2006年12月の記事、かなり改訂)
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貼り付け終り。
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