欧米型の証明医療を実践されている
『リー湘南クリニック』李漢栄(医学博士)さんのブログ、
『院長ブログ・異端医師の独り言』より、転載させて貰います。科学が好きだと云うリーさんが、淡々と綴るこのブログは第一級の資料で、貴重な存在です。
貼り付け、開始。
2009年02月01日 ★Cockettに愛されるようになった瞬間 1985年 7月アメリカに赴任すると、Cockettから「アメリカ滞在 2年のうちに、ある研究をするように」と指示されたがその研究には全く興味がなかったので、内容は憶えていない(が、調べたら「生殖関係」の研究で、僕が第 2著者で論文になっていた)。
その研究と並行して、自分が興味ある腫瘍の研究をすすめ、渡米 11ヶ月目に生まれて初めて英文で論文を書き、「Cockettに指示された研究の論文原稿」と「自分の論文原稿」2編を(校正してもらうために)提出した。
「Excellent」Cockettの目がピカリと光り、逆転した瞬間だった。私をいわば「お荷物」にしか考えていなかった Cockettが「私を愛する」立場になった。
リー湘南クリニック (2006年11月の記事、校正)

2009年02月15日 ★★動物愛護 僕がロチェスター大学に着任時(1985年)、Cockett(主任教授)は研修医*一年生の Garyに「閉所ストレスが、造精能におよぼす影響をラット(大型のネズミ)を用いて検討するよ」命じた。
数日後、Garyは「この研究は不可能である」とCockettに報告した。何と「NY州法」でラットを飼育する際、最低の広さが決まっている、そのため閉所でラットを飼育できないのである。(*泌尿器科専門医になる研修期間は、4年、最初の一年間は、主に基礎研究をする)。
私は主に、ネズミに癌を移植して治療実験を行っていたが、何十回も獣医(ベタナリアン)から呼び出された。ネズミが弱ると私と一緒に診察するのである。研究計画書に動物が含まれると、外部の有識者(?)を交えた、動物倫理委員会が開催される。
頭の悪い歯科医が「私の研究は残酷である」と主張し譲らない。何十回も主旨を説明したが、バカ歯科医は「対数」を理解できない。何度書類のやり取りをしたのか、うんざりした。
動物の屠殺法にも決まりがあり、意外にも「ギロチン」は合法だった。(最近、鑑賞した National Geographicによると、ギロチンはフランスが発明した、人道的処刑法だそうだ:2月16日)
テレビの料理番組で、ロブスターを茹でる時「沸騰したお湯に、頭から入れてください」と説明していた。尻尾から入れると、ロブスターが苦しむ時間が長くなるからである。日本の「生きたままの火あぶり」(鮑の踊り焼き)を知ったら、と思うと背筋が凍った。
1987年ころから、残酷であるという理由から毛皮が売れなくなり、毛皮をまとっているヒトは無教養で低俗とみなされるようになった。良質の毛皮をとるには、動物を生きたまま、数年間寒風に曝すためである。人気稼業の芸能人は、真っ先に毛皮と決別した。
フカヒレお好きですか 数年前にシンガポールの公共キャンペーン番組を観てから、フカヒレを食べないことにした。フカ(サメ)を捕獲すると、船上で背びれと尾びれを切り落とし、生きたまま海に投げもどす。垂直尾翼・水平尾翼をなくしたサメは、その後一体どうなるのだろうか。鯨を捕獲して、隅から隅まで利用するのとは訳が違う。
ダイビングをご経験の諸兄ならお分かりだろうが、サメがヒトを襲うことは絶対にない。水中で漁をした漁師が「捕獲した魚介類」を身につけていると、サメが餌と勘違いして、食いつくことがあるのです。映画「ジョーズ」がサメを悪者に仕立て上げた。シンガポールの番組ナレーション「フカヒレを食べないでください、そうすればサメを守れます」。
リー湘南クリニック (2006年11月と2007年5月の記事、校正)
2009年02月07日 ★★フロリダ地方会での演出 在米中(1985~1990年)学会出張は好きだった、旅行できるからだ。在米一年目は Garyと Bobの NY出張に同行したが、滞在費は支給されなかったので、二人のベッドの間、ホテルの床に寝た。2年目は実費支給、3年目からは実費プラスαが支給され、家計の足しになった。
3年目、フロリダの地方会に参加した。パームスプリング・ホテルが学会場で、空港でタクシーに行き先を告げると、運ちゃんが後ろを何度も振り返る。到着して分かった、ゴルフ場を有する、お城のような超豪華ホテル。
オイスター(牡蠣)を食べに行くため、フロントでタクシーを頼んだら、何と黒塗りリムジーン(リモ)が横付けされ、びっくりしたが、運転席にひっそりとメーターがついていた。リモがレストランに到着すると、ウエイターがうやうやしくドアーを開け、VIPを演出してくれた。
ホテルにもどると専属のエレベーター開閉係、上品な中年女性が笑顔で「リー様お帰りなさい」とエレベーターのドアーを開け、行き先階をおしてくれた。全く威圧感がない見事な演出、心から楽しんだ。
学会当日、Cockettから会場に「早く来るように」言われた。その頃は、まだ演説原稿を読まざるをえず、スライドを指せなかった。
一計を案じた Cockettが、ウエイターにポインターのコードが Cockettのテーブルに届く位置に演壇(ポディウム)を移動させ、私が演説を担当、Cockettがポインターを担当した。私を一流のアメリカ人科学者にみせる演出を計ったのである。
リー湘南クリニック (2006年11月の記事、校正)
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貼り付け終り。
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