欧米型の証明医療を実践されている
『リー湘南クリニック』李漢栄(医学博士)さんのブログ、
『院長ブログ・異端医師の独り言』より、転載させて貰います。科学が好きだと云うリーさんが、淡々と綴るこのブログは第一級の資料で、貴重な存在です。
貼り付け、開始。
2009年11月28日
★ 聖路加病院時代の当直 小児科医不足 外科系 1年目の医者は奴隷である。勤務が終わると順番に聖路加病院の当直をやらされ(うろ覚えでは、当直手当はゼロか数千円)、当直でない日も典型的な症例が来ると夜間もおこされた(旧病院の屋上に軟禁されていた)。
先輩にデートなどの私用が入ると、代わりに先輩のバイト先の当直に行かされた。精神病院の当直代は 2万円くらいだったが、ゆっくり眠れたから好きだった。脳外科の先輩から当直を命じられたときは、他の脳外科病院から急変した患者が搬送されてきて、あわててマニュアルをひろげた。
経験的に、小児科医を目指す医者は、崇高な精神の持ち主である。聖路加時代、ほろ酔いで夜に図書館に行くと、一年先輩の小児科研修医(名前失念)は、いつも勉強にふけっていた。どうでもよいことだが、クソまじめのその研修医が宴会で、野バラを歌ったのには肝をつぶした。
北里大学病院、医師2年生時代、病院の当直とバイト先の当直の繰り返しで、ほとんどアパートに帰れない。酷なのは、救急指定を受けた医院である。夜間救急車のサイレンが聞こえると、どんどん近づきパッとやむ。当直代は 3万5千円くらいだったが、当直が続くと、お金はいらないから眠らせてくれという気持ちになった。昨今の当直事情はどうなのだろう。
だれもが苦手だったのは、乳幼児の母親だ。明け方に救急車で駆け込んでくる。聴くと、数日前から症状があるのに受診せず、明け方にやってくる。「急病でないのに、なぜあと数時間、病院が開くまで待てないのか」と腹が立った。昨今の小児科医不足、「医者も生身の人間だということが分からない利己的な母親にも原因がある。」
ちなみに、乳幼児が熱発した場合、絶対に解熱剤を与えてはいけません。熱発は有益なのです。ただし、重篤な心疾患や喘息を合併している場合、重症感がある場合(脱水症疑い)はアセトアミノフェン(商品名はアンヒバ、タイレノールetc)を投与します。
リー湘南クリニック (2008年12月の記事、校正)
2010年01月31日
★★製薬会社さんのご接待 医師一年目、聖路加病院の月給は 10万円だったが、病院住み込みを強制されたので生活できた。一ヶ月くらいして、製薬会社さんの営業マンがアンケートに協力して欲しいと面会に訪れた。その会社の抗生物質を注射する際に、患者さんが静脈痛を訴えるか、20名ほど調べて欲しいと一枚の表を渡された。患者のイニシャルを記載し、「はい」か「いいえ」に○をする。新米医師は注射当番なので、多分一日で表が完成したと思う。
後日、製薬会社さんが謝礼をもってきた「一万円」。ただし、○ひとつが一万円、10個まるをつけたから 10万円。お金をもらったので、その会社の抗生物質を処方するようになった。そのほか歓送迎会、納涼会、忘年会などなど、製薬会社さんが代わる代わる接待してくれる。いろいろなタクシー券を収集し、自慢しあっている同僚もいた(北里大学病院で)、彼らは今でも熱心なコレクターである。泊りがけの学会出張は「学会付き無料温泉旅行」だ。
1980年代、製薬会社の申し合わせで、過剰な接待が自粛されたことがあったが、いつの間にか元に戻ってしまった。藤沢で近隣の診療所をみると接待漬けである。数軒隣の H耳鼻科は、第一製薬とファイザー製薬のいいなりに、じゃぶじゃぶ薬を処方し、さらに近くの薬局から売上げの一部をキックバックされている。
この慣行に眉をひそめる前に考えて欲しい。これは製薬会社の正当な商行為、医師も会社も法に触れていない(国公立だと賄賂になるが)。これが業界なのである、官も民も日本はこのような仕組みから成り立っているのである。
リー湘南クリニック (2006年10月の記事、校正)
2010年02月16日
☆★ 手術の基本 医師一年目、聖路加病院時代「鬼」の異名をとる牧野外科部長の監督下、停留睾丸の手術を執刀することになった。先輩から「英論文通りに始めから終わりまでやらないと、頭突きを食らうか、ペアン(小型ペンチみたいな手術道具)で手を挟まれる」と教わった。無論、論文を丸暗記した。
泌尿器科の藤岡先輩(現・岩手医大・泌尿器科教授)からは「手術前には 2冊以上の英文手術書を読むように」命じられ、それが習慣になり今日にいたる。しかし、聖路加を離れて以来、英文教科書を読む医師に出会ったことがない。どの病院でも医者は、「先輩のやり方を真似る」か「メーカの提供するビデオ」で習っていた。
手術にあたり、「悌毛、術野の消毒、抗生物質の使い方、糸の選び方・結び方・締め加減、傷の閉じ方、術後の消毒、抜糸時期など」それぞれに「基本」(科学的根拠)がある。
北里研究所病院時代(1990~96年)、後輩の入江に「根治的前立腺全摘術」を執刀させることになり、あらかじめ手術法の論文を渡し、その通りにするように命じた。術後、入江が「リー先生、論文を読んでおくとこんなに違うのですね。」と感想をもらした。
名古屋で美容外科の副業をしていた時代(1994~1998年)、北里研究所病院(港区)美容外科・宇津木部長を招聘し、ワキガ手術を何十例も施行してもらった。驚いたことに、例外なく、100%に合併症が発生した。その度に言い訳をするのだが、要は基本を全く知らなかったわけで、私が施行するようになってからは、合併症は、ゼロになった。
北里研究所病院で外科や婦人科の手術を手伝ったが、基本を無視した目を覆うものだった。しかし、殆どの患者さんは大過なく退院され、基本を知らなくても通用することを知った。
リー湘南クリニック (2006年10月の記事、校正)
貼り付け終り。
- 関連記事
-