欧米型の証明医療を実践されている
『リー湘南クリニック』李漢栄(医学博士)さんのブログ、『
院長ブログ・異端医師の独り言』より、転載させて貰います。科学が好きだと云うリーさんが、淡々と綴るこのブログは第一級の資料で、貴重なので、ご紹介します。 貼り付け、開始。
2009年01月07日★
なぜ、医師をめざすの 医師になるには医学部に入学しなくてはならない。受験生に、なぜ医師を目指すのか「本音」を問えば、将来楽な暮らしができるから、親にいわれたから、他に目指すものがない等と答えるだろう。ヒューマニズムに燃え、医師を目指したものは皆無と断言できる。医者は聖人ではないの。
受験時代、才能ある者は好きな道をめざした。私は幼い頃から「絵がうまい」と褒められ、初等部美術の松江先生から溺愛されていた。松江先生に進路を聞かれ、「画家」と答えたら、血相を代え「やめなさい」と諭された。仕方なく「建築家」になるべくデッサンを学び、芸大と武蔵野美術大学を受験したが受からなかった。親から、国籍の問題から建築家は無理だ、また「医者になってから絵を描けばよい」と諭され、大好きな美術をあきらめ医学部へ進んだ。
小学校~高校まで一貫校で宿題などしたことがない。受験勉強という丸暗記をはじめて経験したが、英単語をはじめ、その当時の知識が 30年以上たった今でも役に立っている。
実は、医学部を受験したのはほんの偶然からなのです。受験時代、東京医大志望の開業医の息子K君といつも一緒に勉強をしていた。北里大学医学部の受験日が早かったので、腕試しにうけ、東京医大も2人で受験した。東京医大の合格発表日、2人で見に行ったら、2人とも落ちていた。北里大学、まさか合格した。 K君から沈んだ声で「どうだった」。「受かった」。「来年、独りで頑張る」。数ヵ月後、そのK君が東京医大に入学していた。
当時、北里大学医学部は新設校。2回生の5割くらい、僕の同期生では 2割くらいが裏口入学だったと思う。なぜなら、スーパーカーを乗り回し、羽振りがよかったから。彼らのお陰で、正規入学者は学費が安くて済んだが。ほとんどの裏口入学者は留年を繰り返し、退学となったが、数人は目出度く医者になった。
リー湘南クリニック (2006年10月の記事、校正)
2009年02月12日★
「検便」の日をご存知だろうか。僕が小学生当時は、有機農法が当たり前で、人糞を肥料にしていたため、寄生虫感染症が蔓延していた。検便とは、指定された日に自分の「ウンコ」を学校に提出するのである。検便が始まった当初は、各自、思い思いの容器に「ウンコ」をいれ学校へもっていった。マッチ箱が主流だったが、当時は高級品の「タッパウエアー」一杯に詰めてきた同級生もいた(L商事のご子息)。
検便提出日の朝、佐村君と校門で出くわした。彼は検便を忘れていた。一計を案じ、僕と佐村君で芝生を探した、犬のウンコを見つけるためだ。ウンコを容器に詰め、佐村君はそれを提出した。
結果発表の日、佐村君だけに多種多様の寄生虫が見つかり、彼は大量の薬を飲まされた。
(以上、2006年12月の記事、校正)
以下、今朝の産経新聞から抜粋
免疫学者・藤田紘一郎さん
東京・御徒町にある事務所にちょっと変わった展示物がある。サナダ虫の標本だ。…実は自分の腸にいたものだそうで、「きれいでしょう」と自慢する。研究のため、腸内でサナダ虫を飼い始めたのは15年ほど前。愛情をこめて「キヨミ」などと名前を付けていた。
一昨年2月に「マサミ」がいなくなるまで5代続いた。…「カイチュウ」は小学生のころから身近な存在でしたね」…「終戦直後はカイチュウの感染率は70%でした。それがわずか30年間でほとんど消えてしまいましたね」
藤田は、カイチュウの駆除が進み体内から消えていくのと反比例するようにアレルギー疾患が増えたと指摘する≪あと多分、肥満が増えた≫。…
2009年02月22日★
I という後輩 一年下の I は運動部の後輩で、見栄っ張り、憎めないキャラの持ち主である。医師 2年目、北里大学病院(相模原市)時代、犬を飼っていたので昼に餌をやりに行かなくてはならない(当時、日に 3回餌を与えるのが常識だった)。重症浮腫の患者さんの治療(低塩の点滴と強力な利尿剤の注射)をしていた。患者さんの浮腫はみるみる改善し、餌やりの間、医師 1ヶ月目の I に留守番を命じた。「リー先生待ってください」とエレベーターの中にまでついて来て、「心細さ」を吐露する。教科書にあった、起こる可能性がある合併症(痙攣)とその対策を伝えた。エレベーター内で I は、それをボールペンで手の平に書きとめた。
犬に餌をやっていると I から電話がかかってきた「早く帰って来てください」。病棟に戻ると、患者さんが痙攣をおこしていたので、型通りの処置を施した。一段落した後、I に「処置教えただろう」。I は我に返り、固く握りしめていた指を開かせるとボールペンの字は汗でかすれていた。痙攣が起こったとき、I が言うには「あんなに情けなかったことはなかった」そうだ。家族がパニックになり「お医者さんを呼んで」と叫んだそうである。
さて、それから I に餌やりに行かすようになった。ある晩、I が僕の部屋に来たとき、愛犬が I の顔を見るなり「キャンキャン」逃げた。
I は学生時代、DISCO(今で言うクラブ)でパーティーを主催したり、医師 5年目には、当直代を貯めこみ、ベンツを購入し、出張先沖縄まで運び、県内唯一「品川ナンバー」を自慢していた。
彼が医師一年目「リー先生、俺、ミス草加と付き合っているんです」と自慢し、「写真見ますか」とわざわざ I の部屋まで写真を見に行かされた。ところが、すごいブスだった。どうやら、I は誰彼かまわず自慢したようで、ある日、医局で I の同級生が「昨日のビートたけし・きよしの漫才で、ビートたけしが『今度のミス草加知っているか、とんでもないブスだぞ』」と言ったそうである。
その話が I に伝わると、ビートたけしの事務所に抗議の電話を入れたそうで、先方は「たけしはとんでもないアホなので」と詫びた(?)そうである。
リー湘南クリニック (2007年12月の記事、校正)
貼り付け終わり。
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