第一級資料の宝庫、
リー湘南クリニック院長ブログ『異端医師の独り言』さんより転載貼り付けます。貼り付け開始。
一流論文の全訳 2009年09月30日
☆☆医学雑誌の質は良くなっているのか、悪くなっているのか?Are medical journals getting better―or worse? という、ランセット誌の編集室コメントです。
≪カッコ≫内は僕の解説。≪文法にとらわれない、難解な英語で、かなり意訳しました≫「なぜ、そのような研究が続出するのか?」 先週、カナダ、バンクーバで開催された、第6回 peer review
≪科学的観点から、厳密に原稿を審査すること≫と生物医学雑誌に関する国際学会の企画立案者である、JAMA
≪アメリカ内科学会誌;ランセットと NEJMに次ぐ一流誌≫の
Drummond Rennie が、問うた。
彼は、大昔の科学でみられた、根深い性バイアスに言及しながら、このバンクーバでも、何か、デジャブのようで、再現を感じる。
論争のある領域のさらなる著作、原作者たることと貢献者たること、出版倫理、剽窃、論文が採用されるか否かの道筋、そして、編集者バイアスに触れ、20年間のたゆまない努力の末、編集者および医学誌は、ほとんど進歩していないようだ。彼ら・われわれの議論は、堂々巡りのようだ。
それにもかかわらず、いくつか歓迎すべき発見があった。ゴースト・ライターは、確実に減っているようだ。Peer reviewの良き指導性は、論文の審査過程の質を改善した。
レトリック(あるいは、偏向と宣伝)は、科学的厳密さに対し、重大な問題となりつつある。今や、データ共有が、新たな(emerging)そして緊急の課題である。
すなわち(And)登録されたデータベースに基づく臨床試験登録と結果報告が、研究の透明性に重要な貢献をしつつある。より明るいニュースは、CONSORT声明の初めて報告から、10年以上を経て、研究報告は、明らかに編集者たちの優先権となって来たことである。
しかし、失望することに、例外はあるものの、全体として医学雑誌および編集過程の科学の質は、変わらないか、むしろ悪化したようである。以前の会議で、無作為化試験は常識だった。このバンクーバ会議では、そうではない(Not in Vancouver.)。
発表された研究のあまりにも多くが、描写的で研究過程についてであった。あまりにも少数の研究が、医師と患者にとり重要な質に関して―peer reviewと出版の有効性、そして、それらの医療と公正さ(equity)への貢献に関するものであった。
1980年代から、Drummond Rennieは、科学の全く新しい、そして、まさに必要とする分野の創立を率先してきた。しかし、その分野と業績こそが、同僚の編集者と研究者たちにより、打ち壊されようとしている。
われわれは、まさしく研究機関の研究について自己満足しているようだ―医学雑誌と出版社―そこに、われわれの生計、そして、学問の世界での経歴が依存する。この医療(the health system)の重要な領域への無関心は、痛みを伴うべきだ(should cause us some pain)。そして、これについて、これから行うことに関するいくらかの反響である。
Editorial Lancet 374:950 September, 2009
貼り付け終わり。
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