貼り付け開始、
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/329423更新日:
おめでとう電話(2018年平昌冬季五輪・フィギュアスケート男子で2連覇、安倍首相〈当時、左〉から祝福される羽生結弦選手)/(C)共同通信
国内外に衝撃を与えた“氷上のプリンス”の電撃婚。ハートを掴んだのは、才色兼備のバイオリニストだった。
男子
フィギュアスケート五輪2大会連続金メダルの
羽生結弦(28)が入籍を発表したのは8月4日のこと。肝心の相手に関する情報は一切報じられてこなかったが、19日に事態は一転。妻とされる女性の地元紙「日刊新周南」が実名をスクープし、8歳年上の末延麻裕子さん(36)と報じた。
「末延さんは大学卒業後、プロバイオリニストとして活躍しました。目鼻立ちのクッキリした顔立ち、時に黒髪を振り乱して弦をかき鳴らすエネルギッシュな演奏がファンを魅了しました。10センチ以上も高さがある厚底のヒールを愛用し、身長165センチの抜群のスタイルがさらに際立っていました。一方で、容姿から想像できないほど『大食い』の一面もあったとか。フィギュアスケートとの関係が深く、2012年に行われた全日本選手権、4大陸選手権、世界選手権のプロモーションアーティストに選ばれています。19年にはアイススケートショー『ファンタジー・オン・アイス』で羽生さんと共演。末延さんは芸能事務所に所属していましたが、現在は退所し、熱心に更新していたSNSもすべて削除しています。表舞台から姿を消して、羽生さんの支えに徹するつもりなのでしょう」(芸能関係者)
末延さんは山口県光市出身。幼少の頃からバイオリンに親しみ、小学生の頃から数々のコンクールで賞を総ナメ。磨き上げられた腕前に、
あの「世界のYAZAWA」も惚れ込んだという。
意外なのは、地元・山口を通じて安倍元首相とも縁があることだ。
■父は熱心な支援者、叔父は昵懇のジャーナリスト 「末延さんの父は12年に鬼籍に入られましたが、生前は県下でも有数の建設会社の社長を務めていました。安倍元首相の熱心な支持者だったようです。亡くなった際は、安倍さんが自宅に弔問へ訪れています。末延さんの父が経営していた建設会社は代表取締役が交代した後も、安倍さんの地元
選挙区支部に対して継続的に献金し、その額は11~21年で計303万円。末延さんの父の弟、つまり末延さんの叔父は、安倍さんと昵懇だったジャーナリストの末延吉正氏です」(政界関係者)
安倍元首相といえば、18年の韓国・平昌冬季五輪で金メダルを獲得した羽生を電話で祝福。同じ年に羽生に国民栄誉賞を授与した。
若い2人の門出に、安倍元首相も草葉の陰で喜んでいるだろうか。
貼り付け終わり、
tokaiama20のブログさん:羽生結弦が田布施システムへ……ジャニー喜多川問題の本当の意味
2023年09月21日より転載します。
貼り付け開始、
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12821346473.html
前略
末延建設は山口県光市の市役所に近いが、徒歩で1時間も東に歩けば田布施町、2時間も歩けば、ユニクロの柳井正(本人は宇部市出身)を輩出した柳井市である。
この地域一帯から、明治以降、経済政治において恐ろしいほどの人脈が成立し、日本国家の中枢に君臨してきた。
それは、とんでもないものだった。最初の超大物は明治天皇だ。
明治天皇は、表向き孝明天皇の実子である祐宮が就任したことになっているが、実際には、南朝正統を主張する平田国学を維新の基礎理論とした西郷隆盛や大久保利通が、「北朝の孝明を排除し、南朝の血脈に変える」という方針を示し、南朝直系を称した大室寅之祐という長州奇兵隊力士隊出身の大男が祐宮に化けて明治天皇に就任した。
京都の公家たちは誰でも祐宮を知っていたので、公家たちが容易に来られない東京に都を移した。そして、それまで「朝敵」とされてきた楠木正成の像を皇居前に建立した。
天皇の歴史 その1 2018年05月01日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828318.html 天皇の歴史 その2 田布施 2018年05月02日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828319.html 大室寅之祐は、田布施出身の力士で、松下村塾の高杉晋作によって奇兵隊に組織された。上のリンクを書いた当時は分からなかったのだが、最近になって、岸信介の大舅祖父にあたる岸要蔵の孫だったという情報を知った。
この岸要蔵こそ、田布施システムの原点に位置していて、実は、統一教会教祖である文鮮明の祖父と、平壌に近い平安北道定州郡の李朝両班仲間だったという情報があるのだが、江戸時代末の話なので、それを裏打ちできる資料が見つからない。
ただ、李朝の儒者だったことは、間違いなさそうだが、同時に大内水軍の海賊だったという説もある。
1800年代の末に、李朝が清朝の隷属化にあったのを、日本国が日清戦争に勝利することによって清による統治を廃し、事実上日本の支配下に置いた。
このとき、すでに事実上崩壊していた李朝の両班階級の多くが日本に移住したとされる。移住先が田布施や加世田だったと噂されている。理由は、秀吉の連れ帰った朝鮮陶工子孫の地だったからだ。
おそらく、このなかに、岸要蔵=本名は李要蔵がいた。李という字を分解すると木と子つまりキシになるのだ。
私は、この当時の資料を探したのだが、古すぎて少ないのと、何者かがネット上の岸家や田布施に関係する情報を片っ端から無断削除していることに2014年頃に気づいた。
これを指揮していたのは、安倍政権の官邸マフィアである杉田和博だろうということが後に分かってきた。
ただ、明治維新と新天皇即位は1868年なので、李要蔵が日清戦争時に来たとすると時間的整合性がなく、少なくとも、1850年頃には李要蔵の田布施移住があったと考える必要がある。
この頃、松下村塾の吉田松陰が黒船に接近しようとして井伊直弼によって斬首刑を受けたことで、松下村塾勢力は、倒幕への爆発的な勢いを得た。
私が得た資料では、岸要蔵の孫が大室寅之祐だった証拠は確認できない。しかし、橋本大二郎、龍太郎の4代前の先祖が、寅之祐の姉だった事実は確認している。
いずれにせよ、李要蔵→岸要蔵を原点として、明治天皇をはじめとして、現在までつながる恐ろしいほどの田布施人脈システムが、岸田文雄現首相に至るまで展開されているのは間違いのない事実だ。
田布施人脈の恐ろしさは、戦後歴代首相の過半数を田布施システムから出してることばかりか、経済界でも日産コンツェルンの鮎川儀介をはじめ、現在でも柳井正ら多数の財界人を出しているし、それどころか、日本共産党の主要人脈、野坂参三や宮本顕治らまで輩出していることだ。
世襲政治家 2022年12月11日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5996029.html http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5996029.html http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/362.html その田布施システムは、今でも岸田文雄に受け継がれ、脈々と生き続けているのだが、安倍晋三が統一教会の代理人という理由で山上徹也に射殺されてから、影が見え始めている。
そこで、田布施システムに、全国民的人気者である羽生結弦が加入することになったのには、何か特別な意味を感じるのは私だけではないだろう。
羽生の配偶者になったのは、光市の末延建設の令嬢、バイオリニストの末延麻裕子だ。叔父はテレ朝コメンテータ(大下容子ショー)の末延吉正で、この男は、安倍晋三の腰巾着べったりで知られていた。
末延吉正は、徹頭徹尾、安倍晋三のヨイショ報道を続けてきていて、自身が田布施システムの広報官だった。
そこで、田布施人脈システムは、羽生結弦という光り輝く新しい宣伝塔を獲得したのだ。
私は、この新たな人脈が偶然にできたものかについては疑念がある。もしかしたら計画されたものだった疑いもある。
羽生弓弦は何年後かに、もしかしたら田布施システムから政治家に転身するのではないかという気さえするのだ。
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後略
貼り付け終わり、
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