オーストラリア大陸は地理的に他の大陸から遠く離れており、先住民族であるアボリジニの人々はヨーロッパ人が17世紀にオーストラリア大陸を発見し、18世紀後半に入植するまで他の文化圏と隔絶されていたと考えられがちです。ところが、近年ではインドネシアの一部地域は独自にアボリジニと接触していたことがわかっており、アボリジニのロックアートに「インドネシアの戦闘艇」が描かれていたという研究結果も報告されています。
Moluccan Fighting Craft on Australian Shores: Contact Rock Art from Awunbarna, Arnhem Land | Historical Archaeology
https://link.springer.com/article/10.1007/s41636-023-00390-7
Archaeologists identify Moluccan boats on NT rock art drawings – News
https://news.flinders.edu.au/blog/2023/05/30/archaeologists-identify-moluccan-boats-on-nt-rock-art-drawings/
Archaeologists say Moluccan boats depicted in Arnhem Land rock art, solving mystery - ABC News
https://www.abc.net.au/news/2023-05-28/nt-moluccan-boat-arnhem-land-rock-art/102400042
Mysterious rock art painted by Aboriginal people depicts Indonesian warships, study suggests | Live Science
https://www.livescience.com/archaeology/mysterious-rock-art-painted-by-aboriginal-people-depicts-indonesian-warships-study-suggests
オーストラリア北部のアーネムランドにあるアボリジニの聖地・アウンブルナは、アボリジニのロックアートや樹皮画が多数発見されていることで知られています。アボリジニが描いたロックアートには魚やカンガルーといった動物のほか、19世紀~20世紀頃のヨーロッパの船や銃、アルファベットなども描かれており、ヨーロッパ人が入植したことの影響がみられます。
1970年代、そんなアーネムランドのロックアートの中に、「西洋のものではないとみられる船舶」があることが発見されました。1998年に描き写された2つの絵のスケッチが以下。
そのうちの1つは写真にも収められています。
輪郭がよりわかりやすいように加工された写真が以下。
以前から、オーストラリア北部に住んでいたアボリジニが、インドネシア・スラウェシ島の南部に位置するマカッサルの人々と接触していたことは知られていました。しかし、今回調査された船の絵にみられる独特の形状は、これまでにアボリジニのロックアートで確認されているマカッサルの漁船や貿易船とは異なるものだったとのこと。
また、今回の絵には「三角形の旗・ペナント・船首の装飾品」といった、戦闘用の船にみられる特徴があると研究チームは指摘。船舶の形状などから、これらの船はスラウェシ島の東、オーストラリアの北に位置する「モルッカ諸島の戦闘艇」であると結論付けました。
以下の写真は、1924年に撮影されたモルッカの戦闘艇の写真です。アーネムランドのロックアートに見られる船舶と、船首にある装飾品がよく似ているのがわかります。
オーストラリアのフリンダース大学で考古学の上級講師を務めるダリル・ウェズリー氏は、「これら2つの船は、オーストラリア北部の交流圏に新たな次元を加えるものです。オーストラリアは人里離れた場所にあり、6万5000年もの間どこからも切り離されていた土地というわけではないのです」と述べています。
ウェズリー氏は「これらの船はペナントや旗などの装飾が施された戦闘艇であり、通常の貿易船や漁船とは一線を画しています。これは、アーネムランドのロックアートに見られる他のマカッサンの船に対する私たちの理解とは、まったく異なるものです」とコメント。こうした戦闘艇がオーストラリア北部を訪れていたということは、モルッカ諸島の人々からアボリジニに対して何らかの襲撃や身体的暴力、あるいは権力の行使があった可能性を示唆しているとのこと。
また、アボリジニが描いたロックアートはかなり詳細に特徴を捉えていることから、描いた人物はモルッカの戦闘艇を遠目に見ただけでなく、間近でじっくり見て細部まで正しく理解していたと考えられています。研究チームは、実際に戦闘艇がアーネムランドの海岸線を訪れたか、あるいはアーネムランドのアボリジニがモルッカ諸島に行き、そこから戻ってきて絵を描いた可能性があると主張しました。
研究チームによると、17世紀半ばにモルッカ諸島を訪れたオランダ人探検家は、モルッカ諸島の人々がナマコなどの海産物を捕獲するため、オーストラリア北部まで定期的に航海していると報告したとのこと。論文の筆頭著者であり、フリンダース大学の海洋考古学者であるミック・デ・ロイター准教授は、「これらのモチーフは、インドネシアからオーストラリアの海岸線への散発的あるいは偶発的な航海が、定期的なナマコ漁の前あるいはそれと並行して行われたという考えを裏付けています」と述べました。
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