次回の衆院選より区割りが変更され、いわゆる「10増10減」となる小選挙区の定数。早ければ「6月解散・7月総選挙」もあり得ると報じられていますが、定数減の地域では激しい激しいつばぜり合いが展開されているようです。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では著者で元全国紙社会部記者の新 恭さんが、安倍晋三氏の地元である山口県で繰り広げられている、党の公認を巡る激しい攻防戦の模様を詳しく紹介。さらに公認権を握る茂木幹事長が置かれている「難しい立場」を解説しています。
地元政界では「クーデター」も。安倍氏という親玉失った城の行方
亡くなった安倍元首相の後継者として、衆議院山口4区補選で当選した吉田真次氏は、立候補した時点から、補選がすんでも遠からず総選挙がやってくることを覚悟しておかねばならなかった。
かりに、この6月中に衆院が解散されて7月の総選挙となると、わずか3か月ほどで再び有権者の審判を受けることになる。しかも、「10増10減」の改正公選法により、全く同じ選挙区からは出られないのだ。
山口県の小選挙区は区割り変更で「4」から「3」に減少する。つまり、自民の4人の現職のうち1人は小選挙区からはじき出され、出馬するにしても比例中国ブロックにまわるしかない。
安倍元首相の夫人、昭恵氏は吉田氏を引き連れて5月31日、自民党本部に茂木敏充幹事長を訪ねた。新3区に吉田氏を公認するよう直談判するためである。
後継者選びに苦労した末、「熱狂的な安倍晋三ファン」だった下関市議、吉田氏に目をつけたのは昭恵氏だ。相続権のない東京の自宅を出て、安倍氏の残した下関の屋敷に移り住むという昭恵氏は、よほどの決意でやってきたに違いない。安倍派からも会長代理をつとめる塩谷立氏、下村博文氏が加勢して、茂木氏ら党幹部にプレッシャーをかけた。
吉田氏が議席を得た山口4区は、言うまでもなく安倍氏の地盤、下関市と長門市からなる。新区割りで、両市を含むのは新3区であり、当然のことながら、吉田氏は新3区からの総選挙出馬を熱望している。
だが、それが叶うかどうかは、かなり微妙な情勢だ。新3区には、現3区の林芳正外相が出馬に意欲を燃やしている。もともと祖父の代から下関を地盤とする林外相は岸田首相と同じ派閥「宏池会」に所属し、山口県の政界で「将来の宰相」と期待されてきた存在だ。
現職閣僚の強みで林氏が新3区を奪い取れば、吉田氏は比例にまわされ、安倍氏が長年守ってきた下関・長門の「城」を明け渡さねばならなくなる。
「主人のあとを、選挙区を吉田さんに継いでほしいです」と頭を下げる昭恵氏に対し、茂木幹事長は「県連の意向を尊重しながらやっていきたい」と言葉を濁した。
茂木幹事長の心中は複雑だったに違いない。山口県内の4つの小選挙区にはいま、4区の吉田氏、3区の林氏のほか、1区に高村正大氏、2区に岸信千世氏がいる。高村氏は麻生派で、高村正彦前副総裁の長男だし、岸信千世氏は前防衛大臣、岸信夫氏の長男だ。党本部の判断しだいで、このうち誰か一人に貧乏くじがまわってくるのだ。
新区割への候補者調整に関し、自民党山口県連は、4月の衆院補選後、4氏から意向を聞き、県連への「一任」を取りつけようと働きかけてきた。3人は概ね了解したが、吉田氏だけは応じなかった。比例区にまわされることを懸念したからだ。
このため、県連は「調整が難しい」として党本部に一任したが、茂木幹事長のほうでも「県連の意向を尊重する」と言うばかりで、この案件処理を主導するのを避けたがってきた。
茂木幹事長が吉田氏に抱いている深刻な疑念
噂として広がるのは、吉田氏に不利な情報だった。その一つが「現1~3区の現職の新1~3区へのスライド」という案。たとえば現1区の現職は新1区から立候補というわけだ。これでいくと、新1区には高村氏(麻生派)、2区には岸氏(安倍派)、3区は林氏(宏池会)になり、吉田氏は外されるが、こと派閥均衡という点では、恨みっこなしで収まりそうである。
だが、安倍元首相の遺志を継いでくれると見込んで吉田氏を担ぎ出した安倍昭恵氏にとっては、夫の根城であった下関を、同郷のライバルに明け渡すことなど考えられない。安倍派にしても、“領地”を、林氏に奪われては最大派閥の沽券にかかわるだろう。
安倍氏とは初当選同期で、安倍政権で外務大臣など重要閣僚に取り立てられてきた茂木幹事長は、心情的には昭恵氏の願いを叶えたいかもしれない。来秋の総裁選をにらめば、安倍派に恩を売っておくのも得策である。
しかし、総理レースのライバルでもある林氏を比例にまわすことは、あまりにも露骨なやり方であり、岸田首相の手前、まずそれはできないだろう。
であれば、吉田氏が新3区なら、林氏は新1区ということになる。新1区には宇部市が含まれ、林氏の母が宇部興産創業者一族の出身ということもあって、集票の基盤はしっかりしている。
新2区の岸氏は動かないだろうから、その場合、小選挙区からはじき出されるのは高村氏になるが、高村氏は麻生派であり、党副総裁である麻生太郎氏を説得しなければならない。
ただ、冷静に見ておかなくてはならないのは、吉田真次氏という人物と下関の政治情勢だ。
安倍元首相が急に亡くなり、後継については、母・洋子氏の「孫がいい」という意向で安倍元首相の兄・寛信氏の長男らの名があがったが、本人たちが固辞し、下関政界における安倍家の血脈は途絶えることになった。大慌てで候補者を探した末に、とりあえず間に合わせたのが吉田氏だ。
そして衆院補選では2021年に安倍氏が獲得した8万票を目標に戦ったが、吉田氏は5万票をこえる程度にとどまった。弔い合戦を前面に出し、「安倍」の名前を連呼しても、しょせんは違う人間だ。秘書軍団や後援会も一致結束というわけにはいかなかったのだろう。林派の地元議員が吉田氏のために動こうとしなかったのは予想通りだった。
吉田氏が本当に期待するに足る政治家なのか。下関の政界をまとめていける人材なのか。茂木幹事長は、そこに深刻な疑念を抱いているはずだ。
すでにJR下関駅近くにある安倍晋三事務所は、吉田真次事務所へと看板が替わり、安倍後援会も解散間近で、屈強を誇った秘書団は散り散りになっている。諸行無常というほかない。
それでも、安倍昭恵氏は、吉田氏の後援会長を引き受けた。なんとしても、夫の残した政治遺産を守りたい。自分が出て行かなければ、党本部に都合よく処理されてしまう。そんな思いが、茂木幹事長への直談判に向かわせたのだろう。
こうした動きを、安倍派と岸田派(宏池会)の「代理戦争」と報じるメディアもあるが、ことは単純ではない。公認権を握る茂木幹事長としては、裁き方を間違えると、自身の“ポスト岸田レース”にもかかわってくるだけに、党内をまとめる技量を試される正念場でもあるのだ。
なるほど国政における勢力は、このほど100人の大台に達した安倍派が圧倒的である。しかし、地元政界の情勢はどうか。いまや山口県では林派が最大勢力なのである。
安倍氏の急逝後に下関で起きた「クーデター」
安倍氏が急逝した後、下関市の勢力図は大きく変化した。市長の前田晋太郎氏は安倍氏の元秘書であり、安倍派の集団といえる自民系会派「創世下関」に支えられていた。だが、安倍氏の息のかかった者たちで議長・副議長ポストを独占してきた「創世下関」への反発は強く、安倍事務所の力が低下したとみるや、同じ自民系でも林氏に近い議員からなる会派「みらい下関」が、もう一つの自民系会派を吸収合併してのしあがり、「創世下関」を最大会派から蹴落とした。
今年2月の下関市議選の結果、34の議席のうち「みらい下関」が12人の当選者を出したが、「創世下関」は7人にとどまっている。
実際のところ、新3区の公認争いをめぐる国盗りゲームは、現時点で林氏に分がありそうである。いちばん有力なのが、先述した「スライド案」、すなわち新1区高村氏、2区岸氏、3区林氏、吉田氏は比例へという、安倍派が避けたいシナリオだ。自派閥の高村氏を守らねばならない麻生氏はこちらを主張するだろう。林氏にとっても願ったりかなったりだ。
しかし、林氏には突かれて痛い点がなくはない。将来の総理をめざし河村建夫氏の選挙区を横取りするかたちで、2021年秋の衆院選で、参院から衆院山口3区にくら替えしたばかりだ。宇部市や山口市を含むという点では新1区でも同じだ。いくら生まれ育った地とはいえ、下関に移っていくというのは身勝手すぎないか。そのような批判が出てくるだろう。
林氏が新1区の場合は、2区岸氏、3区吉田氏とし、高村氏が比例にまわることになる。この場合は、山口県の小選挙区3つのうち2つを安倍派が占めることになり、安倍派の思惑通りだ。
だが仮に、新3区に吉田氏が公認されるとしても、それで安倍家の血脈が継続するわけではない。世襲が日本の政治に限界をつくっているのは間違いないが、事実として血縁が異常にモノを言う日本的な風土のなかで、吉田氏が、解散する安倍晋三後援会の人々を自身の支援者として今後長きにわたり繋ぎとめていけるかは疑問だ。
岸田首相は6月7日、安倍派の塩谷会長代理と官邸で会い、衆院山口新3区の候補者調整について「非常に難しい判断だ」と述べたという。この時点ではそう言うほかないだろう。
つまるところ、茂木幹事長の最終判断は、安倍派の意向を忖度するか、盟友である麻生副総裁との関係を重視するかの究極の選択になりそうである。
この記事の著者・新恭さんのメルマガ
初月無料で読む
image by: yu_photo / Shutterstock.com
貼り付け終わり、
« ■中国の若者たちに拡散した“天安門事件の真実” l ホーム l ■日本によるウクライナへのTNT調達は参戦である »