「まっとうな政治」を旗印に掲げ結党し、政権と対峙してきた立憲民主党。そんな野党第一党が今、瀕死の危機に陥っているようです。。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野孟さんが、岸田政権が進める大軍拡に「条件付き容認」という、リベラル系支持者への裏切りとも言える姿勢を見せる同党を厳しく糾弾。党としての全滅を避けるには、もはや分裂しかないとの見解を記しています。
※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2023年3月27日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:高野孟氏(たかの・はじめ)
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。
立民が失った結党時の気概。岸田軍拡の容認で瀕死のリベラル政党
このところ、立憲民主党の幹部級と意見交換する機会が何度かあったが、その結果、衆院97、参院40の議席を持つ野党第一党である同党は、岸田内閣の防衛費倍増による大軍拡路線と正面切って対決し、それを阻止する気概を持ち合わせていないことがはっきりした。
これは相当絶望的な状況で、岸田大軍拡に正面から反対する組織政党は共産党だけになってしまい、その勢力は衆院10、参院11議席。れいわと参院の沖縄会派を加えても13、17。その共産党も、2人のベテラン党員の党を思えばこその提言を「反共キャンペーン」とか「外からの攻撃」とか罵倒して除名処分にするという愚行によって自損し、党内に動揺が生じ支持層が離れつつある中で踏ん張りが利かなくなっていることを考慮すれば、すでに国会は大政翼賛会的な様相呈していて、全議席のわずか4~5%程度の反対派を苦もなく蹴散らして大軍拡に進んでいくのである。
もはや「分裂」しか残されていない立憲民主党を全滅から救う道
この状況に歯止めをかけるまでには至らないとしても、多少ともブレーキをかける手段があるとすると、立憲民主党を大軍拡賛成もしくは容認派と反対派とに分裂させることだろう。もちろん思想信条や政策の違いだけで野党第一党から離脱するのは議員個人にとって容易なことではなく、数十名の塊にしかならないかもしれない。しかしその明快な主張を持った政治的な塊がなければ共産党及びその他の弱小会派との共同戦線を形成することが出来ない。
逆にそれがあれば、とりあえず共産党が孤立化し衰退化するのに多少とも歯止めをかけて、共同戦線を張り直すことが出来るかもしれない。その下で、院内協力だけでなく、市民・労組レベルの共同行動、その延長での選挙協力、さらに連立政権構想の描出を進めなければならない。
次ページ:リベラルにも中間層にも支持されぬ「虻蜂取らず」状態に
忘れ去られた「2015年安保法制反対闘争」という原点
今の立憲民主党の中心にいる皆さんはどうもそう思っていないようだが、同党の原点は2015年安保法制反対の戦いにある。
院内では、岡田克也代表の民主党を中心に、江田憲司らの維新の党、共産党、社民党、山本太郎らの生活の党などが共闘し、院外では民主・社民両党を支持する自治労、日教組など旧総評系労組の平和・反核運動組織「平和フォーラム」と、共産党系の「9条の会」など平和団体や労組とが連携して国会包囲デモを盛り上げた。これを通じて民主党と維新の党は接近し、16年に合流し民進党となった。
同党の代表が岡田から蓮舫、前原誠司へと変転する間に、しかし、細野豪志や長島昭久など共産党との野党協力を嫌う超保守系を中心に離党者が続出し、展望を見失った前原は17年10月の総選挙目前に、民進を丸ごと、小池百合子が作った「希望の党」に合流させるという精神錯乱的方針を打ち出した。ところが小池は、民進のリベラル色の強い者や民主党政権の中枢を担った者などを排除する方針を表明。そのため民進は、リベラルの旗を下ろすまいとする枝野幸男の「立憲民主党」、それと一緒になることを躊躇う岡田や野田佳彦などの「無所属の会」、それでも何でも「希望」に行って小池の懐に抱かれたかった前原や玉木雄一郎らに3分解してしまった。
リベラルにも中間層にも支持されぬ「虻蜂取らず」状態に
枝野が一瞬の判断で立憲民主の旗を掲げたのは大正解で、その選挙で彼が演説に立ち「私がたった一人で立憲民主を立ち上げたのです!」と叫ぶと、おそらく安保法制デモの中心を担ったであろうシルバー世代の聴衆から「ありがとう」コールの大合唱が起きた。政党を作って「ありがとう」と言われたのはたぶん枝野が初めてで、それは間違いなく、「民進が小池の軍門に降ってしまえば、もう投票する党がなくなる」と絶望しかかっていたのを救ってくれてありがとうという意味だった。
ここが立憲民主の核であって、今の指導部が「中道にシフトする」とか「中間層に手を差し伸べる」とか言って国民民主党や日本維新の会との院内協力を優先し、従って岸田大軍拡にも正面切って反対しないといった軟弱路線に進めば進むほど、核であるはずの真正リベラル層は離れて行き、その割には無定見の中間層からの支持は集まらないという虻蜂取らずに嵌まり込んでいくのは目に見えている。
全滅を避けるには、予めリベラル核の部分を分離し温存することである。
次ページ:岸田政権の言い分を野党第一党がそのまま真似る滑稽さ
岸田政権の言い分を野党第一党がそのまま真似る滑稽さ
さて、立憲民主党は岸田大軍拡の方針に対する見解として「外交・安全保障戦略の方向性」と題した文書を、玄葉光一郎=同党ネクスト外務・安保相が中心になって昨年12月20日付でまとめた〔文末に全文掲載〕。一応、政府の「敵基地攻撃能力」「反撃能力」については「賛同できない」とは言うものの、「ミサイル能力の向上」それ自体は条件付きで容認しているという怪しげなもので、これでは『サンデー毎日』4月2日号の河野洋平=元衆議院議長・元自民党総裁の「岸田軍拡、もう黙って見ていられない」の方がよほどスッキリと問題点を指摘していて、リベラル的である。
(1)安全保障環境はますます厳しい?
文書は「2.我が国を取り巻く安全保障環境に対する認識」で、周辺国の軍事力強化が急速に強化されていて、我が国を取り巻く安保環境が厳しさを増している旨を述べているが、これは政府の見解のほぼ引き写しで、何の反論も試みていない。これとは対照的に、河野は、
(1-1)米国は安保面で世界の警察官的役回りをせず、ある意味、中国の台頭にすっかり怯えてしまっている。自分を脅かす奴は許さん、叩いてしまえ、という雰囲気になっている。政治だけでなく米国民全体が怯えている、と僕には見える。こういう時こそ中国を一番理解できている日本が「心配することはない。中国というのはこういう国なんだ」と教えてあげなければいけない。であるのに米国と一緒になって「大変だ、大変だ」と走り回っているのが現状だ。
(1-2)台湾有事が心配だと言うなら「本当にそうですか」と中国に聞けばいい。……直接聞きに行くこともしない。……台湾有事にしないためにはどうするか、を議論すべきなのに、なったらどうするかばかりだ。……心配の種があるならそれをどう取り除くかという作業に集中すべきで、心配だから急いで武器、弾薬を準備するというのは、浅薄な判断としか思えない。
(1-3)軍事侵攻は僕はないと思っている。……僕が知る限りでは、中国は日本とは外交も経済もちゃんとやりたいと思っている。台湾への武力侵攻が相当なリスクをもたらすことも彼らはよく分かっている。台湾は独立を言わない。中国も武力に頼らない。現状維持がお互い一番いいということだ。
その通りで、私は全く同意見である。ここから見ると、米国発の「中国脅威論」「台湾有事切迫論」を日本政府がそのまま犬の遠吠えのように繰り返し、中国とは腹を割って話をすることも避けているのを、さらに野党第一党までもが真似しているのが滑稽である。
次ページ:幼稚園レベルでしかない立民の安保議論
外務・防衛官僚たちへのおべんちゃらを鵜呑みに
(2)防衛力の強化
安保環境の厳しさから出発すれば、防衛力強化にしか行き着かないのは自明の理で、文書の「3.防衛力強化」では「ミサイル防空能力の強化」をはじめ6項目が並ぶが、これは政府の言い分そのままだろう。
次に「4.自衛のためのミサイル能力の向上」では、政府の「敵基地攻撃能力」「反撃能力」について「先制攻撃となるリスク」など3つの懸念を示して政府案に「賛同できない」としているものの、そのすぐ後で「島しょ部などへの軍事的侵攻を抑止し、排除するためのミサイルの長射程化などミサイル能力の向上は必要」であり、またその長射程化が他国領域への打撃力となる場合も「それが政策的な必要性と合理性を満たし、憲法に基づく専守防衛と適合する」ものであれば保有を認めるとしている。何のことはない、条件付き容認論に過ぎない。
実際、玄葉はこれを発表した会見の席で「反撃能力」について「必ずしも保有、行使一般を否定しているものではない」と述べている。これはもちろん、岸田や、玄葉が親しくしている外務・防衛官僚たちへのおべんちゃらである。
これと引き比べると、河野洋平は遥かに明晰で、これも私は同意見である。
(2-1)敵基地攻撃能力の保有解禁は日本にとって賢明な策とは思わない。憲法9条は、国際問題を解決するのに武力を用いない、武力による威嚇をしないと明言している。武力で物事を解決しない、外交などで問題解決することに切り替えた。……だから戦争を放棄して軍隊も持たない、武器の輸出もしませんと言ってきた。
(2-2)軍事的な脅威、もしくは抑止力とは、能力×意思の乗数だ。これまでは専守防衛で攻撃の意思はない、つまり意思ゼロだったから、多少の武器・弾薬を持っていても掛け算してゼロだった。ところが、敵基地攻撃能力解禁で今後は攻撃の意思あり、と変わる。それに加えトマホーク400発や足の長いミサイルを持つという。これは周辺国に対する明らかな脅威、9条で禁じる威嚇になる。しかも、脅威を抑え込むとなると、さらなる軍拡につながる恐れがある。負のスパイラルだ。
幼稚園レベルでしかない立民の安保議論
私はそもそも「抑止力」とは「武力による威嚇」そのものだと思っている。国連憲章第2条でも日本国憲法第9条でも「武力による威嚇または武力の行使」を原則として禁じていて、しかもこの2つをワンセットで表現しているのは、行使できるような武力でなければ威嚇にならないし、威嚇のために武力を振り回せば簡単に行使に繋がりかねないので、両者の間に垣根がないからである。
さらに「抑止力」というのは核でも通常兵器でも、所詮は心理ゲームであって、「このくらいの量と質の破壊的兵器を持てば流石に相手も縮み上がって手を出して来ないだろう」と考えるわけだが、それは全くの推測に過ぎず、相手はそう考えていないかもしれないし、あるいはこちらを上回る能力を備えることで抑止を回避しようとするかもしれない。だから必ず際限のない軍拡競争になる。
こういうことを原理的・法理的なところまで含めて議論することなく、「一定の抑止力を持つのは当然でしょう」などとお気軽に言っているのは安保論議の幼稚園レベルに過ぎない。
他にもこの文書は突っ込みどころ満載だが、今日はここまでとする。河野は「全体が右傾化し、リベラルがいなくなった」ことを嘆いている。立憲民主のリベラル派は河野を党首に迎えて出直しをしたらどうなのか。
※ 立憲民主党の「外交・安全保障戦略の方向性」の全文をお読みになりたい方は初月すべて無料のお試し購読をどうぞ。
(メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2023年3月27日号より一部抜粋・文中敬称略)
この記事の著者・高野孟さんのメルマガ
初月無料で読む
image by: 立憲民主党 - Home | Facebook
« ■リモートで繋がる時代にできていないと詰む。 l ホーム l ■まるで「談合」!?コロナ新薬を高額にする厚労省と製薬会社の深い闇とは »