ロシア軍がウクライナに侵攻して2ヶ月が経過しようとしている。ロシア軍がウクライナの首都キーウ近郊から撤退し、東部のドンバス地方(ドネツク、ルハンシクの2州)や南東部の都市マリウポリの制圧に攻撃の軸足をシフトした4月以降は、両国による停戦協議の動きは停滞し、戦争の長期化、もっと言えば泥沼化の可能性が高くなっている。
清水克彦(しみず・かつひこ)プロフィール:1962年愛媛県生まれ。京都大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。文化放送入社後、政治・外信記者を経てアメリカ留学。帰国後、ニュースキャスター、国会キャップ、報道ワイド番組チーフプロデューサーを歴任。現在は報道デスク。著書は、『ラジオ記者、走る』(新潮新書)、『安倍政権の罠―単純化される政治とメディア』(平凡社新書)、『すごい!家計の自衛策』(小学館)ほか多数。10月15日に『台湾有事 米中衝突というリスク』(平凡社新書)が発売される。
歴史をひもとけば、ロシアによる戦争は、旧ソ連時代から短期のものが多かった。短いときは数日、長い場合でも数か月程度だ。いくつか例を挙げてみよう。
このように、これまでのロシア(旧ソ連)は、一気に攻め込んで「利」を得るという短期激烈決戦(ショートシャープウォー)で勝利を収めてきたのである。ところが今回は様相が異なる。
4月5日、舞台はアメリカ連邦議会下院の公聴会。発言を求められたアメリカ軍制服組のトップ、統合参謀本部議長のマーク・ミリーは、「これは非常に長期化する争いだ。10年かかるかはわからないが、少なくとも数年であることは間違いない」と述べ、アメリカをはじめ、NATO(北大西洋条約機構)、それにウクライナを支援している国々は、長期にわたり関与することになるとの見通しを示した。
また、国務長官、アントニー・ブリンケンも、同盟国に対し、ウクライナでの戦闘は今年末までには続く可能性があると伝えている。
そのアメリカでは、ワシントンの有力なシンクタンクの1つ、CSIS(戦略国際研究所)が、国家間の武力紛争に関して興味深い調査結果を示している。
国家間の武力紛争
・その26%が1か月以内に終結し、そのうちの半分近くが最終的な停戦もしくは和平合意に至る。
・また、25%が1か月から1年の間に終結し、そのうちの4分の1が最終的な停戦に至る。
これだけを見ても、紛争や戦争は、長期化すればするほど停戦合意への時間が長くなり、和平に至る確率も下がる。ましてや、1年以内で終結できないものは、さらに長期化してしまい、和平への道はさらに遠のいてしまうといことになる。
1つの目安が5月9日、ロシアの対独戦勝記念日である。この日は、ロシア国民が、旧ソ連の勝利を象徴する「ゲオルギーのリボン」を胸に着け、愛国心と祝典の高揚感に浸る特別な日だ。
この日までに、ロシアがドンバス地方を完全に近い形で制圧できていれば、プーチン大統領による何らかの勝利宣言があり、ウクライナ側への呼びかけも行われる可能性がないとは言えない。
しかし、プーチン大統領の狙いは、ドンバス地方の完全制圧(親ロシア系の住民をウクライナから解放する)というだけにとどまらず、あくまで首都キーウを陥落させ、ウクライナに親ロシア派政権を樹立し、NATOの東方拡大に歯止めをかけることにある。
事実、ロシア軍は東部での攻撃を強化し、再びキーウにも迫っている。NATO加盟を目指すフィンランド国境近くにもミサイルシステムを移動させるなど、むしろ戦線を拡大しようとしているかのように見える。
ゼレンスキー大統領は、ロシアが核兵器や化学兵器を使用する可能性があると、国際社会に向けて警告したが、仮にそこまでエスカレートすれば、事態はさらに深刻化する。
ウクライナ軍のこれまでの想定以上の善戦、アメリカなどによる軍事物資の支援なども考慮すれば、停戦というゴールはまだまだ先と言わざるを得ない。
ウクライナの善戦は、ひとえに、ロシアがウクライナからの情報発信を制御できなかったことに尽きる。
ウクライナ国内からは、ゼレンスキー大統領をはじめとする政権幹部、そして民間人に至るまで、SNSを通じ、メッセージが動画が国際社会に向けて発信されている。この圧倒的な「メッセージの物量作戦」が、兵力で劣る軍の兵士や国民を鼓舞し、国際社会から支援を取り付けた最大の要因である。
本来であれば、情報戦やサイバー戦はロシアが得意とするものだが、肝心の情報戦で後手に回り、苦戦を強いられている。まさに、ことわざで言う「川立ちは川で果てる」(川に慣れている者は川で死ぬことが多い=人は得意な部分で油断し失敗しやすい)である。
その発信を支えているのが「Starlink」である。これは、人工衛星で宇宙からインターネットに接続できるサービスを提供するシステムで、立ち上げたのは、アメリカの電気自動車テスラや宇宙開発を行う「スペースX」の創業者として知られるイーロン・マスク氏だ。
ウクライナの副首相兼デジタル担当相、ミハイロ・フョードロフが、ロシア軍が侵攻を開始した2日後、Twitterでマスクに「システムを提供してほしい」と呼びかけ、協力が実現したものだ。
人工衛星を介する「Starlink」も、地上の通信機器が標的となれば危ういが、光ファイバーケーブルを陸に揚げ、通信基地と接続する通常のインターネットよりは影響を受けにくい。
31歳と若いフョードロフは、より安全な「Starlink」に目をつけ、ゼレンスキーや国民の発信が継続できるようにした。
「世界は私たちとともにあります。真実は私たちの側にあります」
「私たちは自由のために戦っているのです」
このようなゼレンスキー大統領の言葉の数々も、「Starlink」によって国際社会に向けて発信され、「ロシア=悪、ウクライナ=善」の構図が固まったのである。
そればかりでなく、フョードロフは、「Starlink」のシステムを利用してロシア軍の戦車を攻撃するなど、世界第2位の軍事大国ロシアに真っ向勝負を挑んだのである。
長期化が避けられないロシアとウクライナとの戦争。筆者は、この先、どちらが勝利を宣言しようと真の勝者にはなれないと見ている。
ロシアは悪玉のイメージが確立されてしまった。経済制裁と戦費で国力も弱まる。ウクライナも多くの犠牲者を出し、侵攻が激しかった地域は廃墟と化した。
一番の「利」を得たのはアメリカだ。
バイデン大統領は、2021年9月1日、ホワイトハウスにゼレンスキー大統領を招き、個人的な見解としながらも、NATO加盟に理解を示した。そして仮にロシアに侵攻を受けた場合、全面的に支援すると約束した。その月には合同軍事演習も行っている。
これがプーチン大統領に火をつけたと言っても過言ではない。ロシア軍がウクライナ国境に展開し始めたのはその年の10月である。
そして、バイデン政権は、ロシア軍が侵攻する前に軍事支援を発表したほか、2022年3月16日には8億ドル(1000億円)、そして4月13日にも追加で同額の支援を決定している。
つまり、アメリカが誘導してしまったとも言える戦争で、アメリカの軍需産業は大いに潤ったということだ。
第2は、バイデン大統領自身が、2021年9月のアフガニスタンからのアメリカ軍完全撤退で招いた国際的な信用の失墜をかなり挽回できたという点だ。
今回の戦争で、EUやNATO加盟国の首脳をけん引し、バイデン大統領自身もポーランドを視察するなど、民主義国家群を率いるアメリカのトップとして、ある程度は存在感を発揮できたことは、11月の中間選挙にもプラスに働くだろう。
そして3つ目は、ロシアへの制裁で、アメリカ経済全体が潤い始めたことだ。
ヨーロッパ諸国がロシアへのエネルギー依存を見直す中、石油も天然ガスも自前で賄うことができるアメリカがヨーロッパ向けの輸出を増やせば、インフレとコロナ禍で苦しむアメリカ経済は持ち直すことになる。
アメリカだけでなく中国も、ロシアに対し中立的な立ち位置を維持しながら、大いに得るものがあったと筆者は見る。ロシアを対アメリカの切り込み隊長にできた。ロシアの成功例と失敗例から、台湾侵攻の際のヒントも得られる。
さらに、ロシアが経済的に厳しくなって、中国マネー頼みとなれば、ドル経済圏から人民元経済圏にロシアを組み込むことも可能になる。
出口が見えない戦争は、つまるところ、超大国が「利」を得ることになるのである。
清水克彦氏(しみず・かつひこ)プロフィール:1962年愛媛県生まれ。京都大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。文化放送入社後、政治・外信記者を経てアメリカ留学。帰国後、ニュースキャスター、国会キャップ、報道ワイド番組チーフプロデューサーを歴任。現在は報道デスク。著書は、『ラジオ記者、走る』(新潮新書)、『安倍政権の罠―単純化される政治とメディア』(平凡社新書)、『すごい!家計の自衛策』(小学館)ほか多数。10月15日に『台湾有事 米中衝突というリスク』(平凡社新書)が発売される。
image by: ApostolisBril / Shutterstock.com
清水克彦氏
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