北里研究所・前半時代(1982~1984年)、熱海での医局旅行でのお話。宴会後、僕は睡魔におそわれ眠りこけたが、院長をはじめ皆さんは、夜の街に くりだした。翌朝、朝食のとき、みなでビールをあおりながら、院長が上機嫌で「あれは、すごかったね」、「あれには驚いた」…。なにやら「ストリップ ショー」にいき、踊り子がしゃがんで、グラスに入った金魚を膣の中に吸い込み、一踊りしたあと、生きたままグラスにもどしたそうだ。膣息をまぬがれた金魚 も気の毒だが…。
翌日、医局の古参、超潔癖症・嫌われものの N秘書が、だれが金魚を観にいったのか、リストを作成していた。数日間、金魚組の「てんやもの」注文を拒否していた。
アメリカ時代、郊外のアパートに 5年間暮らしたわけだが、帰国が近づくにつれ、いろいろなものを処分しなくてはならない。「Moving Sale」とキャンパス内に張り紙を出しておくと、千客万来である。笑いが止まらなかったのは、ポトス(観葉植物)、どんどん増えるから、いつの間にか数 十鉢になっていた。これが、飛ぶように売れた。
車は、2台ともすぐに売れたが、中古シェビー(シボレー)のステーションワゴンを買った中国人は、したたかであった。売価の半分の値段の領収書を求められ、訳を聞くと、消費税を節約できるそうだ(車を登録するときに、領収書を提示し、消費税を納める)。
困ったのは、金魚である。3匹飼っていたが、どんどん大きくなり、つど大きな水槽を購入し、巨大水槽と巨大金魚が残った。アパート内の巨漢・大工さんが 「200ドルで購入する」と約束し、水槽と金魚を持っていってくれた。帰国日直前になっても、お金をもってこないので、請求に行ったら、「すみません、 200ドルを工面できませんでした」とのこと。彼に差し上げようとも思ったが、フェアーの国、金魚らを引き取り、オンタリオ湖に注ぐ小川に放流しました。
1995年ころ、GFに六本木の「金魚」につれて行ってもらった。今でいう、ニューハーフの煌びやかな世界、すんでのところ、その世界にはいらずにすみましたです。どうでもいいのですが、その日、生まれてはじめて「アン肝」を食し、あまりの不味さに驚きました。
北海道の後藤さんに紹いただいた、立川談春・著「
赤めだか」。とくに、タイトルにある、談志・師匠が金魚を、赤めだかと思って飼いつづけたくだり、腹筋が痛くなりました。
リー湘南クリニック leeshonan@gmail.com 拙著「
癌患者を救いたい PSA検診のウソ」(
正誤表)(2009年4月の記事、校正)
blog.livedoor.jp/leeshounann/archives/51512926.htmlリー先生ちから転載しました。
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