貼り付け開始、
高瀬, 弘一郎「
キリシタン宣教師の軍事計画(上)」
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1970-02. 慶応義塾大学文学部、三田史学会
酒井好古堂
同書内容を、ジャンル・年日時順に整理
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http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-content/themes/standard_black_cmspro/img/2020/02/1970高瀬弘一郎/キリシタン宣教師の軍事計画 上.pdf
※「 小西行長(1558-1600)棄教 」とあるが間違ってるかと。
石田三成と共に斬首される際、
「 ポルトガル王妃から贈られたキリストとマリアのイコンを掲げて三度頭上に戴いた 」
と、Wikiにはある。
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ、
マカオからマラッカに出帆する際のフィリピン総督宛書翰( 1582.12.14 )
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日本は、私がこれまで見てきた中で、
最も国土が不毛 且つ 貧しい故に、求めるべきものは何もなく、
また国民は非常に勇敢でしかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、
征服が可能な国ではないからである。
しかしながら、中国において征服事業を行うことは、
時が経てば陛下が希望しておられることのために、非常に益することになるであろう。
そしてそのためには、日本の地を極めて重視する必要がある。
※ アレッサンドロ・ヴァリニャーノ
イエズス会・東インド巡察師( ザビエルの後継:イエズス会No.2 )
信長爆殺の総司令。日本側総指揮官( 参謀総長 )は千利休。
※ 冒頭の2行はショックだ!
これが世界中を見て回った人物の率直な感想なのだろう。
< newsNueq-2366:「 日本はすごい 」… おめでたい幻想 >
アロンソ・サンチェス( フィリピン・イエズス会 )の
フィリッペ2世宛書翰
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まずバテレンが布教を行って、
「 国民を改宗鎮定し、然る後に陛下の御入国を待つ 」
陛下の御入国とは、勿論占領を意味した。
鈴木治 1972
※ フィリッペ2世は、ポルトガル王国に侵攻してこれを併合。( 1580年 )
「 フィリピン 」の国名は、フィリッペ2世に由来する。
< newsNueq-1866:ドゥテルテ、フィリピン国名を「マハルリカ」に変えたい >
2019/02/20
彼らの対日策は「 分割して統治せよ 」だった。
彼らは武器商人として日本各地の大名小名に武器を売りつけて、
日本の統一を妨害した。
そして統一を完成した秀吉には明国征服の野望を先導して、
まんまとこれを自滅に導いた、サンチェスの「 明国遠征計画 」なるものがある。
サンチェスはこの計画によって、ヨーロッパ兵1万ないし1万2千、
日本兵5千、フィリピン兵5千、計2万ないし2万5千
の兵をもってすれば明国を征服することができるとした。
そしてこれを通訳ルイス・フロイスを通じて秀吉に吹き込んだ。
果たして秀吉は乗った。
こうしてサンチェスはまんまと秀吉吊り出しに成功した。
鈴木治 1972
日本側の資料や、日本人による「 歴史解釈 」と、
当のイエズス会・スペインアプスブルグ帝国の実際とは、こうも違う。
しかも、現在読めるのは公開された資料だけであって、
秘密書翰・資料もまた別に存在する。
加えて、バチカンの書庫には、安土・桃山以降の、
膨大な日本研究の秘密資料がある。
日本の歴史家も知らない、日本のすべてがそこに記されているようだ。
< newsNueq-643:八切止夫の情報源はバチカンだった!( 島原のチリ硝石 )>
「 魏志倭人伝 」を巡る、ニッポン人の「 勝手な解釈 」と同様である。
「 勝手な解釈 」の最たるは、
最近の「 陳寿は、解ってない。適当なことを書いている 」的な論調が、
脳味噌右巻きの阿呆ドモの増殖に見ることが出来る。
「 三国志 」は、晋国のための「 軍事レポート 」である。
つまり、方位や距離も含めてすべてが極めて正確・精緻。
兵庫県立考古博物館に行けば、当時の支那の技術と美的センスの高さに
ブッ飛ばされることだろう。
文章の美しさも、司馬遷と双璧だが、
「 史記 」の方は、始皇帝以前は基本的に、
「 旧約聖書 」「 古事記 」「 日本書紀 」と同様の手口の
フィクション = 隠蔽改竄捏造書である。
上記に「 明国遠征計画 」は、サンチェスのプランに依るもので、
フロイスを通じで秀吉に吹き込んだ。とあるが、
信長は、明だけでなく、インドにまで遠征の気概を見せていた。
フロイスから世界情勢を聞き及んで、信長が考案し、
それを聞いたフロイスがサンチェスに伝えて、
そのブーメランが上記。ということになるのかもしれないが、
秀吉の「 朝鮮出兵 」は、信長譲りのものである。
勿論秀吉にとっては、朝鮮半島などさっさと通過する廊下にしか考えてなかった。
が、ここで小西行長である。
今、ニッポンの修史家は「 朝鮮出兵 」などと矮小化した名称に終止しているが、
正式なプロジェクト名は、さしずめ「 明国征服プロジェクト 」だったと思わる。
小西行長(切込み隊長)は加藤清正(工兵隊長)との2頭立ての征西将軍だ。
< newsNueq-2820:「 幕府・藩・天皇 」は捏造洗脳語 >
で示したように、徳川家は「 公方 」であって、
実際には対外的には「 国王 」を名乗っている。
「 将軍 」は、日本においては、軍事プロジェクトが発令された際に、
「 特命将軍 」として任命されるのが平安京以来の伝統だが、
世界的には一国に「 常任将軍 」が複数存在するのが一般的。
現代で云えば、元帥・大将クラスがこれに相当する。
家康が「 征夷大将軍 」を要求したのは、
頼朝に倣って、東国に盤踞するための方便と診る。
家康も、魑魅魍魎が跋扈する京のいやらしさにはさんざん悩まされたことだろうし。
< newsNueq-642:秀吉朝鮮出兵の失敗の以外な真相 > に書いた、
正体不明の降倭領将:沙也可( 朝鮮名:金忠善 )は、
加藤清正の先鋒将とあるが、本当だろうか?
これを書いた「 戦国未満 」の主は、
北島万次『 豊臣秀吉の朝鮮侵略 』( 岩波親書 )を引用し、
熊本に囚われの身となった阿蘇宮越後守 = 阿蘇大宮司惟光
= 元加藤清正の家臣・岡本越後守と同一人物だと推測。
と、書いてるが、あくまで「 推測 」であって、
岩波本に書いてあるからと正しくないことは多々あること。
北島万次は、早稲田系の歴史学教授のようだ。
これに対して、八切止夫は、
堺から兵庫に住みついていた朝鮮人を集めた小西行長らに
統率させた先陣部隊が、武器・弾薬・糧米と共に朝鮮側に寝返った、
「 沙也可の一党 」で、今も慶尚道大邱にはその末裔の村がある。
との由書いている。
沙也可は、朝鮮人だったのだろうか?
そして、堺にいたということは、キリシタンである可能性も濃厚。
小西行長は、朝鮮半島での不可解な行動も含めて、
ヴァリニャーノやフロイスなどと謀略を巡らせていた線も、
イエズス会側の書翰から浮上する。
武将愛
豊臣秀吉年表
http://busho-heart.jp/hideyoshi/history/関連情報
< newsNueq-642 :秀吉朝鮮出兵の失敗の以外な真相 >
< newsNueq-1122:島原の乱と日本人奴隷貿易
:イエズス会は日本で何をしてきたか >
< newsNueq-1149:信長は天皇とイエズス会の上に君臨:戦国日本と大航海時代 >
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nueq
貼り付け終わり、
※ニュークさん解説。
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