貼りつけ開始
青の先生が某機関紙に寄稿した原稿の草稿です。
勝虫と背守り ―「粋」の心
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稀勢の里が1年半ぶりに本場所復帰、
関脇御嶽海の大関挑戦等話題の多かった秋場所は、
中盤以降の盛り上がりを欠き、白鵬の全勝優勝で幕を閉じた。
その直後、千秋楽2日後に大相撲界に激震が走る。
貴乃花親方の引退発表である。
相撲協会と貴乃花との確執は一連のスポーツ界騒動の総決算の感があり、
暫くは世間を騒然とさせるだろう。
こんな状況下、大相撲愛好家が挙って拍手を送ったのが幕下豊ノ島の勝ち越しだった。
豊ノ島は平成20年秋場所で初の関脇となり、
平幕に落ちた平成22年11月場所(福岡)では14勝1敗で優勝決定戦に臨むも
残念ながら白鵬に敗れ準優勝。
平成28年3月春場所で4度目の関脇に返り咲いたが負け越し。
三役復帰を目指す夏場所前の逸ノ城との稽古申にアキレス腱を断絶し長期療養、
4場所後には幕下に陥落した。
因みに関脇は月給170万円に手当、報奨金等が付くが、
幕下以下は無給で、場所手当(全場所出場で年収90万円)しか支給されない。
妻子持ちの力士にとっては非常事態である。
今場所幕下筆頭で6勝1敗の豊ノ島は来場所には2年ぶりに関取に返り咲く。
幕下7番勝負で9月14日に勝ち越しを決めた豊ノ島が
国技館を退出する際の写真がネット上にアップされていた。
勝虫(かちむし)の浴衣、右手には畳んだ蛇の目傘、下駄に爪皮(つまかわ)。
粋で鯔背(いなせ)な姿には贔屓でなくても惚れ惚れしてしまう。
蜻蛉(とんぼ)を勝虫と呼ぶのは、
腕に集った虻(あぶ)を食い殺した蜻蛉を詠った雄略天皇の御製
「 み吉野の袁牟漏(おむろ)が嶽に猪鹿(しし)伏すと
誰ぞ大前に奏(まを)すやすみしし 我が大君の
猪鹿待つと呉座にいまし白栲(しろたえ)の
衣手着そなふ手腓(たこむら)に虻かきつき
その虻を蜻蛉早咋ひかくの如 名に負はむとそらみつ倭の国を蜻蛉島とふ 」
に由来する。
幼少の頃、祖母が浴衣の背守(せまも)りに勝虫の刺繍を施してくれたが、
その大きな目玉の可愛らしさは記憶に残る。
豊ノ島の浴衣から勝虫、背守りと話題が進んだ処で、話が周囲に伝わらぬ事態に気付く。
勝虫も背守りも知らぬ、聞いた事も無いが圧倒的。
地域差か年齢差か。
尋ね歩いてみるとそのどちらでもない。
平成生まれで知る者もいれば、戦前戦中生まれでも初耳だと首を傾げる御仁もいらっしゃる。
勝虫を知る者は比較的多い。
刀剣の鍔や目貫飾り、竹刀袋等に勝虫が施されている事が多く、剣道の世界では常識である。
平成生まれが父親となり、息子の初節句に購入した兜に勝虫の装飾があったとの話も聞いた。
池井戸潤の小説『陸王』がテレビドラマ化された折り、
足袋会社が社運を懸けて製作に挑んだ濃紺のランニングシューズに白い勝虫の図があり、
そこで知ったという者もいた。
勝虫に比して背守りを知る者は少数派である。
2枚の布を縫い合わせる着物は背中の中央に縫い目の縦筋が入る。
この直線を恐れて魔物は近寄らないが、
幼児の着物は1枚布で仕立てるため縦筋が無く、魔物が近寄ると考えられた。
これを避ける御守が背守りで、背守(せもり)、背紋飾りとも呼ばれる。
ネットを検索すると、産着の背中に施す刺繍とある。
江戸時代以降昭和初期迄は庶民の間で広く知られた習慣との解説も見られる。
東京山の手、筆者が育った地域では昭和20年代末期には
着物を着た小学生の背中に様々な刺繍が縫い付けられていた。
昭和28、29年は昭和初期なのか、子供の着物と産着とでは
相当に異なるとネットの解説を不満に思うが、
閑話休題、着物を着る子供の世界では背守りは今日も生きている。
豊ノ島が持つ蛇の目傘も、下駄に爪皮も、浴衣姿には当然の出立。
然しこの姿は今日お目に掛る事が少ない。
蛇の目傘は青土佐紙と白紙で貼った和傘で元禄時代に登場。
後に渋に紅殻(べんがら)を混ぜた塗料を塗るようになった。
豊ノ島が手にしていた蛇の目は紅葉傘と呼ばれ、江戸で粋な男衆が愛用した傘。
因みに女性の間では黒蛇の目が好まれた。
爪皮は爪掛けとも云い、雨や泥から爪先を守る覆い。
今日和服姿の女性が付けているのはお目に掛るが、男の下駄姿は滅多に無い。
筆者の子供時代、洋服は外出着で普段着は着物。
木登りも鬼ごっこも着物だった。
大学時代も年に数回は着物で講義を受けていたが、
社会人になってからは正月3箇日、稀に慶事等で着る程度である。
着物を着ると立ち振る舞いが変わる。
手や腕の動き、足運び、何より背筋が伸びて見た目の姿勢が良くなる。
着物の場合、荷物は左手に持つのが常識で、右手は自在に動かす。
小股で歩き腕を露出させない。
これは美風であり規則ではない。
神社の参道では中央を歩かない、敷居に乗らない、畳の縁を踏まない。
動きの一つ一つは規則ではないが親から子へ、先輩から後輩へと受け継がれる仕種であり、
美風を生み、粋や鯔背と称えられる。
横綱白鵬の腕を固めるサポーターや、立ち合いで呼吸をずらす腰振り、
横綱相手の張り手に苦言が出されていると聞くが、決して規則違反では無い。
実際のところ白鵬は恐ろしく強い横綱である。
白鵬が仕切り前に土俵周りの俵を踏み固める仕種も、規則には反しない。
然し畳の縁を踏むなと躾られてきた身には、この動作だけは受容し難い。
横綱が野暮なことは情けない。
こんにち社会全体は美風から遠ざかり、合理が優先されるが、粋を賛美する心は持ち合わせたい。
nueq
貼り付け終わり、
https://mobile.twitter.com/SuruganoTBN/status/1041203558001991680
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