この国会はそれほどまでに異常な国会であったと思っています。この私の思いを代弁してくれる様な記事を紹介させて戴きます。
世相を斬る あいば達也 (
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya)
“919クーデター政権” 「隷米・軍国主義国ニッポン」誕生!
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/d00ae75b9fb4e04053d3f746fe54d4c0“偽装合法クーデター” いつでも起きる議院内閣制の罠
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/238b7ece4cd249909c88740999e49154● “919クーデター政権” 「隷米・軍国主義国ニッポン」誕生!
安全保障関連法が平成27年9月19日未明、参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決成立した。これで、積極的平和主義どころか「積極的軍国主義」 の道を歩む第一歩となった。舌なめずりしているのは、「テロの標的」「無防備な兵站作戦」に無給無休で米軍に命捧げる日本の軍隊の参加が決まったと歓ぶペ ンタゴン及び米財務省だろう。下手をすれば、一年以内に自衛隊員の死傷報道と云う悲劇を、我々は目にするかもしれない。
おめでとう、安倍晋三くん!君は、見事なまでに武士の矜持を蔑ろにする“不意打ち”“だまし討ち”で、日本のすべてをアメリカに売り渡すことを完遂した。永遠に、「悪の宰 相」の典型的事例として、日本史、いや、世界史に名を残した。「悪の宰相」だけならいざ知らず、「売国宰相」「愚鈍宰相」「ズル宰相」の名まで、欲しい儘 にすることになるだろう。立憲主義の本家本元の経典を、支部長らが合議の上、経典を改竄したのだから、これはクーデターだ。
その好まざ る評価は、永遠に磨き込まれ、珠玉なものになって行く。研磨と磨きはここからが本番だ。現在、国会前で頑張っている人々の功績が明確になるのは、これから である。今まさに、日本人により、あらためて日本と云う国の民主主義のあり方が議論され、日本人のための民主主義って何だろう、が人々の中で、初めて語ら れ、考えられるのではないだろうか。このような奇禍は、起きないに越したことはないが、現実に起きてしまっている。多くのメディアや論者が“ねじれ解消、 決められる政治”と声高に論を張った結果が、この惨状を導き出したわけだ。
しかし、起きている奇禍をご破算にすることは出来ない。しか し、奇禍を奇貨に変えることが出来るのが、人間に与えられている良識であり、知恵である。それに「徳」を加えて、日本の民主主義、統治の形、世界との関わ りなど、議論して、熟議の結果得た方向性が見いだせるのであれば、それは、奇禍が奇貨になる。ひとつだけ、筆者が主張するのは、アメリカのデモクラシーは 完璧な偽物と云うことだ。偽物でも、自国にのみ影響するニセモノならいざ知らず、その御しがたい「傲慢デモクラシー・ウィルス」を地球上に撒き散らし、ペ ストの猛威同様に、人類を滅ぼそうと云うのだから、罪深い。
このようなことは、悔し紛れに語っていると思っては、大間違いなのだ。政治 に無関心な層が動いたわけだから、今までとは異なった選挙の構図が、現れると考えるべきである。一票の格差是正から生まれた選挙区の「10増10減」を含 め、投票率の大規模アップも影響を及ぼし、安倍自民党ファシズム党と下駄の雪公明党、コバンザメの大阪維新。この3極勢力を、日本の政治シーンから放逐す る、またとないチャンスである。たしかに、今までの日本人は平和すぎた。しかし、一瞬の隙を狙われれば、民主主義と云うものは、極めて脆い制度なのであ る。決められる政治を託したつもりが、言っていないことばかり実行し、国民に好影響を与える施策は、すべて虚偽表示であった。
最近の民主主義は、ソ連邦の社会主義と変わりない強権性を発揮している。国政選挙における、八百長開票なども噂されるのも、欺瞞だらけの美しい言葉に彩られている 事なのだろう。安倍の言葉などは、典型的な“巧言令色鮮し仁”なんてものではなく、初っ端から最後の最後まで“法螺、虚偽、空言、虚妄‥等”なのである。 しかし、現実の先進諸国における、資本主義の限界は金融産業の“お為ごかし”が閾値を超え、オーバーフロー寸前と云う事実がある。つまり、東西冷戦とい う、イデオロギー対立があった方が、実は安定していた。こういう皮肉を見るわけである。
ライバル勢力が存在するから、一定の矜持や良心や、按配の精神があるわけだが、一強となった時が、凋落の凶事に向かうのは、世の定めかもしれない。
『 祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。娑羅雙樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂に はほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱异、唐の禄山、是等は皆舊主先皇の政にもしたがはず、樂しみをきは め、諌をもおもひいれず、天下のみだれむ事をさとらずして、民間の愁る所をしらざしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。近く本朝をうかゞふに、承 平の將門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、おごれる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは、六波羅の入道前太政大臣平の朝臣淸 盛公と申し人のありさま、傳承るこそ心も詞も及ばれね。』
日刊ゲンダイが来年夏の参議院選で、自民党議員落選続出の予測記事を報じているが、こんなものでは済まないだろう。そして、次期衆議院選挙にまで、大きく影響が及ぶのは必須だ。この予想以上の自民党大惨敗を実現し、真の日本人に よる、民主主義の在り方、西部劇のようなアメリカン・デモクラシーを如何に反面教師にして、日本独自の民主主義と憲法を守るか、これからの息長い活動や発 言が、決め手になると云う決意をあらためてしておきたい。

● “偽装合法クーデター” いつでも起きる議院内閣制の罠
昨日のコラムで「“919クーデター政権” 「隷米・軍国主義国ニッポン」誕生!」と云う見出しを書いたのだが、よくよく考えると、民主主義や議院内閣制。 それと小選挙区制、政党助成金と云うターボ・チャージャーが付加された国の政治は、実は簡単に「全権委任政治」に変身する事実を、我々は知ってしまった。 なにゆえ、これほど易々と準合法的な「クーデター」が可能なのか、愕然とする面もある。筆者は、イデオロギー的には「民主天皇制」と云う理想を持っている のだが、この思想は、次期尚早なのだろうと云うことで、あまり前面には語っていない。ただ、筆者が、「民主天皇制」と云う政治制度を考えるに至った、欧米 デモクラシーの大欠点が現実的に現れたわけで、そろそろ、本気で語る時期は近づいているような気にもなっている。
まあ、筆者のイデオロ ギーは追々語るとして、民主主義とか、資本主義と云うものは、人間の「善的な資質」に多くを委ねている面がある。日本語で表現すれば、「徳」と云うことに なる。もう少し、具体的に言えば、民主主義に関わることが出来る歴史的経過や訓練である。言い換えれば、民主主義や資本主義と云うシステムを、従来の意味 合いで作動させようと云う人間の共通の意識が必要だと云うことだ。このような意識の共有があってこそ、民主主義も、資本主義も、本来の目的に沿う結果を生 みだせる。
しかし、物々交換から、貨幣と云う利便なものが生まれ、産業革命(明治維新の産業革命じゃないよW)以降、製造業を中心とす る“ヒト、モノ、カネ”の流通がなされた処までで、おそらくオシマイ(制度の臨終又は危篤状態)があったのだろう。しかし、次の新たなシステムを、人類は 見つけることが出来ずに、金融資本主義と云う「魔物」へ、ステップアップさせてしまった。この金融資本主義はまさに“打ち出の小槌”のように、マネーがマ ネーを産み、また産むと云う、麻薬のような資本主義に至った。このことは、1%による、99%の人間の豊かさの剥奪に繋がっているわけだ。マネーと云う “観念的価値”は、生身ではないので、どうなろうと、痛いとも痒いとも言わない。
このマネーに人間が支配される世界が到来することで、 企業の実存説も擬制説もヘッタくれもなくなった。企業を誰が支配しているかも、瞬間的には特定可能だが、その誰かは変りうるわけで、住所不定のマネーと云 う怪物に、循環的に支配されてしまう。それが、現在そのものだ。最近、英労働党やギリシャで起きている極左なイデオロギーの抬頭、逆にフランスやドイツで 起きている極右の抬頭。ピケティの『21世紀の資本主義』など、さまざまな現象として現れている。民主主義も、この資本主義同様の問題点を抱えていたこと が、今回の安倍政権のあっという間のクーデターとして、起きてしまったのだ。
今回の「“919クーデター政権” 「隷米・軍国主義国ニッ ポン」誕生!」のような出来事が、軍隊を動員することもなく、詐欺的だが合法の範囲で起きてしまったのか。その部分を、我々は真面目に考えなければならな いのだろう。特に、今後も民主主義と資本主義をセットにして、日本と云う国を考えるのであれば、なぜ?こんな「おかしいだろう、 これ。」の一言しか言え なくなるわけだ。言い得て妙な表現だ。ただ、ここで感想だけ言っているわけにもいかない。“どうしてだ”を考える必要がある。
現時点 で、言えることは、国民が選挙の時だけ「政治」を考えていては駄目だと云うことだ。選挙で議員を選ぶ以上に、選んだあとで、フォローをしなければならな い。良い意味では、応援し続ける、悪い意味では監視し続ける。民主主義制度が成り立つためには、どうもこれがないと、日本では「政党」の独裁が、簡単に行 える仕組みになっていた。つまり、戦後70年以上、どの政党でも、政権を握った場合、今回のアベシンゾウが行ったクーデターは出来たという事実に“慄然” となる。ただ、幸いにも、そう云う恥じらいを感じる行為に走り出す政党も首相も、たまたまいなかっただけで、過去の政権で“クーデターは出来た”と云うこ とになる。
少々、話は堂々巡りしているが、書き連ねる時間しかないので、賢明な読者の皆様の英知に頼りながら、続けていこう(笑)。つ まり、幸運にも、過去の政権は、「いくらなんでも」と云う矜持や徳や経験があったのだろう。たまたま今回は「矜持や徳や経験」のない人間が首相となり、政 権を握ったからに過ぎないとも言えるが、こういう人間が連続して出てくる事もあり得るし、もっと凄いのが出てくることもある。だからと言って、憲法69条 内閣不信任が、日本国のリコール制度となると、小選挙区制度や政党助成金制度との整合性は、まったく取れていない事を意味している。
こ こまで、考えて疲れ果ててしまったの、「だから」と云う問題は、次回に回すが、国民が政権ウォッチを横着していると、権力は何をするか判らないと云う事 が、身に染みて理解できたわけだ。戦争に対する拒否反応も、戦後70年以上が過ぎてしまえば、多くの人々は「戦争を知らない人々」に占められる。80歳以 上の方々が後20年生きて、何かを語ってくれると期待しては酷だろう。経験が一番の教師ではあるが、他の動物を差別するだけの大脳を与えられた人間なのだ から、過去を学び、現在を知り、未来を想像する為に、大脳を有意義に使いたいものだ。うっかりすると、我々の民主主義は、永遠に「独裁政権を生む運命」に あること、嫌になるほど、肝に銘じなければならないようだ。
こうやって考えると、平和ってものを、知らずに手に入れていた戦後70有余年、幸運だったに過ぎないのだ。これから、不幸の連鎖が継続しないように、心新たに、日本の民主主義の危険性を、忘れずにしたいものだが、日々の生活と云 う難題に立ち向かいながら、訳のわからん政治にまで気を配らなければならないのであれば、動物農場でも良いやって人もかなりいるだろう。こういう人たち は、俺は運がいいから、政治で酷い目には遭わないと、思考停止になっているのだと思う。
sonokininatte55.blog.fc2.com/blog-entry-328.htmlその木に成って55さんちから転載しました。
*55さんが政治を語るとは珍しい事で、メモっておきます。
・政治諸問題も・・・福一モクモク再臨界のプルームに追いかけられながらとなるので、どうなるか???????
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